2007/12/17
2008.08.04 

6話 現代の一期一会

戦国時代の一期一会

戦国時代は、日本が小さな国に分かれ、戦国武将が割拠していた。天下統一を夢見て戦った武将もいれば、自分の国や仲間を守るために、愛する人を守るために、心ならずも戦いに明け暮れた武将もいただろう。

 

下克上の時代であり、常に戦争に明け暮れ、朝出かけたらもう夕方には帰ってこられない、いつ死ぬかわからない時代だった。

 

その時代にあって、織田信長、高山右近、蒲生氏郷、前田利長、そして細川忠興、豊臣秀吉など戦国武将は「茶の湯」を好んだ。いつしか武士のたしなみとまで言われるようになっていった。

 

なぜだろうか。

 

さまざま理由があると思うが、あなたも武将になってその理由を味わってもらいたい。

 

あなたを大切に思う人から、お茶会の招待を受ける情景を想像してほしい。

 

あなたは茶室に入る前に、足袋を履き替える。門を入り路地といわれる庭にS字型のように置かれた飛び石を渡り、蹲踞(つくばい)で口と手をすすぎ、心を整える。心身の潔斎をおこなうのだ。

 

利休は二畳の茶室が理想であったという。あなたにお茶をふるまう亭主が一畳、武将であるあなたが一畳で、この狭い空間の中でたった二人がいる。あなたはこの一服の茶を最後に、二度と帰らぬ人になるかもしれない。その限られた時間の中で、二人が相対する。

 

通常、窓はできるだけ部屋を明るくするために壁の上部にあるが、この茶室では、下についている。しかも窓には連子格子や庇(ひさし)を突き出し、部屋を薄明かりに保とうとしてある。

 

教会や寺院にみられるように空間を薄暗く保つことによって、精神の統一と静寂さを作り出している。

 

このような空間の中で、二度と会えないかもしれない大切な人とわずかな時間を共有する。そこには互いの魂の交歓が存在するのみだ。その空間で何が語られたのだろうか。

 

あなたなら何を語るのだろうか。

 

私は、ほとんど何も語られなかったと考えている。

 

なぜ武将に、茶道はあれほどにも熱烈に受け入れられたのだろうか?

 

武将は浮世の義理や欲を捨て、命を捨てることを決意しなければならなかった。どんなに強いサムライであっても、人間である以上、生への慾が心を揺るがす。

 

門をくぐり茶室に入る過程で、しだいに心が整えられ無心になる。

 

無心になることは何も心が無くなるわけではない。心のざわめきが静まり、自分の本来やるべきことが心の奥底から浮き出てくる状態だと私は思っている。

 

あなたの心の奥底にある不動の魂の声が聴こえてくる。無心になったあと、見えてくるのは、あなたがこの世でやるべきこと。あなたを大切に思う人が一服の茶をふるまう。あなたは「これが最後!」とそれを受ける。つまり魂と魂の邂逅がこの一期一会の機会なのだ。

 

無心になると、本来自分のやるべきことが見えてくる。

 

ここで、武将は浮世の慾を捨て、自分の使命に志すことができたのではないか。静寂の中でお茶を立て、お茶を飲む音、そして一言、二言交わすだけで十分だったのではないだろうか。

 

 

 

現代の一期一会

現代の私たちには死は遠い存在になってしまった。それと引き換えに、心を整え、自分の魂を見つめる時間を失った。もちろん一期一会というふうに、人と会うこともほとんどない。

 

しかし全ての人の命は必ず尽きる。人生に何が起こるか予測はつかない。実際にはいつも死に直面している。人生の有限さを感じることがあって初めて、今何をすべきかを問うことになる。そのためには心を整える必要が出てくる。

 

そのための時間哲学がサムライ時間である。

 

自分の人生の終点、つまり天寿日を任意に決め、そこからカウントダウンして生きる。自分の人生の有限さに立ったとき、初めて時間を大切に、一期一会があなたの人生に顕われてくる。

 

私がここでお話しているのは、癌を告知されて自分の余命を認識したときとか、倒産の危機に陥るとか、追い込まれて「有限に立たされたとき」のことではありません。自分の生きざまとして、「自ら、有限さに身を置く」ことを述べているのです。

 

あなたが自ら設定した天寿日があと8年だとしたら、春に桜を見たときに、「桜をあと何回見ることができるのだろうか?」という考えが浮かんでくる。

 

もちろん8回しか見ることはできない。

 

5月に食べる初鰹もあと8回しか機会がない。あなたはどこでどんなお店で、そして誰と初鰹を食べるのだろうか。

 

本をあと何冊読むことができるのだろうか?

一か月に一冊読むとしたら、96冊だ。もし96冊しか読めないなら、あなたは何の本を読むのだろうか。

 

一年に一回海外旅行をするなら、あと8回。あなたは、本当はどこに行きたいのだろうか。

 

あなたの大切な人と、あと何回会えるのだろうか?どんな会い方をするのだろうか。

 

自分の人生の有限さを意識しだしたとき、あなたは、茶道を習うかもしれない。何かを残そうと本を書き始めるかもしれない。

 

サムライ時間は、あなたの人生の質を変えてくれる。

 

戦国時代の人たちは、人生の有限さを意識する必要はなかった。それこそが常態であり、目の前の現実だったからだ。人との出会いはまさに一期一会だった。

 

サムライ時間は、戦国時代から現代に一期一会の「香り」を運んでくれる。日常が「新日常」に転換するのだ。

 

                            出口光