2008/03/17
2008.09.09
第九話: 天命律
サムライ時間に住む現代のサムライたちには、どのような生き方があるのだろう。ここでは、3つの生き方を検討したい。
自律的と他律的な生き方
20世紀は理性の時代だった。多くの人たちは、無限なる宇宙を理性で切り取り、有限の言葉で説明する。とくに人生がうまくいっているときは、理性を信じ、自分の力で、やっていけると考える。
これを自律の生き方と言おう。
「理性」という自律的な生き方は、論理と言葉によって制約された本来究極的でないものを、究極的としてしまうところに薄っぺらさがある。やがて理性の力のみを信じる人は、人生が逆境のときに、孤独に陥り、生の意味や目的を見失ってしまう。
そこで、私たちは、「自己と理性の有限性を自覚することが大切だ」と言う。そして何者かに頼ろうとする。
それは、能力や権力ある人や組織である。神頼みも宗教団体への依存も頼るという点において同じである。
これを他律の生き方と言おう。
人は、調子のいい時は、理性で生きる自律を尊ぶ。しかし人生を長く過ごすと、自分の力ではどうしようもない事態に遭遇する。そのとき、自分以外のものに頼ろうとする「他律」が現れる。
人間は、自律と他律の間を揺れ動いている存在だ。 つまり同じシーソーの両極を行ったり来たりしている。
天律的な生き方
自律でも他律でもない第三の生き方がある。
それは、自分の内にて働く存在の力であり、魂との関わりで生きることだ。
つまり、第三の生き方は、魂の声と共に「在る」ことなのではないか。
自分の心の奥底を見つめ、そこに存在する何かを感じることが必要だ。それは魂にある究極なるものへの関わり、つまり、天命である。
それは、理性によって押し付けられたものではなく、自己の内にあって自らを動かしている根源的なものである。ここで「封建時代のサムライ」と私がいう「現代のサムライ」には、決定的な違いが出てくる。
私たちが天命に関わるとき、それによって根本的に支えられていることがわかる。いや天命そのものが自分であると言ったほうがよい。
私たち自身が、「魂として内に存在する」ことを感じるとき、本質との断絶を克服することができる。
つまり魂を究極なるものと有限な人間の肉体との架け橋である存在として受け容れることだ。その魂は、直接に天と繋がる存在である。
そのような生き方を天律の生き方と呼ぼう。
私たちの魂は肉体を超えて皆つながっている。その証拠に、あなたに無限の力があったなら、世界で起きている戦争、飢餓、環境破壊、南北問題を解決したくないとは言わないだろう。
つまり、私たちは、肉体的物理的制約がないなら、全ての人が輝き幸せである理想的な社会を望んでいる。これこそが天の意志であり、人類共通の大天命と言える。
ところが、私たちの肉体は有限だから、やれることに限界がある。したがって、この大天命を忘れ去っている。あるいは、拒否しているといえる。
だが私たちは有限であるからこそ繋がる必要がある。全ての人が大天命を持っているという自覚を持てば、自分の有限さを最大限生かして全霊で自分の役割を果たすという思想が現われてくる。
有限である私たちが、それぞれ異なる天命と、共通の天命を自覚したとき、お互いに繋がり「大和」に向かってそれぞれが役割を果たすようになる。
これを受け入れるためには、勇気が必要だ。
それは「自分自身が理性を超越する存在の力に根ざしている」と受け入れる勇気を持つことだ。魂という存在は、究極なるものと人との交わりのためのものであり、それを使って究極なるものと関わることにより、私たちの生きる勇気の最大の源泉となる。
魂の声である天命のパワーは究極的存在への関心が存在する状態においてのみ現われる。それへの探求に生きるという姿勢こそが、私たちに根底からの進化をもたらす。
天律的な生き方の確立
私は、天律という生き方が好きであり、そのように生きたいと思っている。そのためには、二つのことが必要である。
一つは、祈りを通して天と直接繋がることである。祈ることで、私たちの魂は天命そのものとなる。つまり、自分という存在は、天命であり魂そのものである。
これこそが自分と天命が一体化する「天律」だ。
天律における「祈り」は、ただ、魂にある「天命」を深く感じそれを実行すると言うだけである。「天命を共に実行します」ただ、それだけなのだ。そこには、お願いもない。一体なのだから。
そこに本当の感謝が現われてくる。
もうひとつは、私たちは有限であるがゆえに、繋がらなければならない。
私たちの魂が大和の世界を創ろうとしていることを自覚するなら、全力でつながり、全霊で自分ができる役割をはたさなければならない。
これが志でつながる氣脈である。
偉い人、悟った人だけが言うことではない。普通の人が、繋がる意図を持つだけで、大和を自覚できる。
これが氣脈の意義ではないか。
あなたは、自律?
それとも、他律?
それとも、天律はいかが?