2008/05/26  
2009.01.12  

11話「志を次代に引き継ぐ」

サムライ時間に生きる私たちは、有限な時間の中で一体何がやれるのか。自分の人生をどういう視点から考えたらよいのか。

私は予てからの想いを実行に移すことにした。第二次世界大戦の末期、十代から二十代の若者が敵艦に体当たりするために出撃した特攻基地のあった知覧を、5月17日に訪れた。 ここに来る前に、一生に一度だけ行こうと決めていた。一期一会で、見るもの全てを、自分の魂に刻み込もうと思った。

特攻記念館で、私が見た遺書はシンプルで、どのような飾りもなかった。

親、国、愛する人への想いに溢れていた。 まもなく自分の命を失うことへの、心の葛藤や、苦しみ、嘆きを潔斎した人たちの魂の声だった。 また、特攻へ出発する前に撮った写真には、すがすがしい笑顔が写っていた。

胸に込み上げてくるものが何もないのに、不思議にただ涙が溢れて止まらなかった。

展示された遺書を読みながら、祈らずにはいられなかった。

私の心の内に出てきた言葉は、「ありがとうございました。志を引き継ぎます!」

なぜこの言葉が出てきたのかわからない。 そして、ものすごく重かった。自分の気持ちを整理できず、ただ、やり切れなかった。

「あの戦争は何だったのか」と自問した。

私と一緒に行った友人二人と、 冨屋旅館のそばの公園のベンチに座って話しあった。

重さとやりきれない思いがあるのは、一緒だった。

戦争の末期、日本国の死に直面したときに、あのような絶望的な特攻を起こした。個人の中に存在するべきサムライ時間が国家に流れたのだ。

そのために自分の命を提供し残る人たちのために散っていった若者たちがいた。若者のあまりの純粋さに、「犬死をさせたじゃないか!」とも思った。 このやりきれなさは、今の日本をみると、特攻に散った若者たちの死が意味を持たないように思われたからだ。

 

彼らは、桜の花のように散ったのではなかった。

私たちは、桜の花が散るのを愛でる。しかしとても愛でる気にはなれなかった。それなら桜の花が散るのを、私たちは悲しむのではなく、どうして、花見をし、喜び、酒を飲むのか?

それは、「また来年も咲く!」からだ。そこに桜の木があるかぎり、また来年もその美しい姿を見せてくれる。

しかし特攻に行った人たちは、次の年にはいない。しかも彼らの崇高な魂は報いられていないじゃないか。 それがやりきれなかった。

友人からこんな話を聞いた。

ある小学生が、学校の花壇にコスモスを植えた。 10年後、そこへ行ったら同じようにコスモスが咲いていた。しかし、コスモスは一年草。

毎年、次の生徒がコスモスを植えていた。志を引き継ぎ行動してくれる人たちがいたから、コスモスは存在していたのだ。

もし特攻で散った人たちの志を引き継ぐ「桜の木」があったら、こんなにも重い気持ちにはならなかったはずだ。

私たちが、あの特攻という過去と、どのように関わるのか、何を引き継ぐのかが、明確ではなかった。

サムライ時間に生きる私たちの“生”が輝くのは、次の世代に志が引き継がれるからではないか。私たちの命が有限であっても、その志を継いで歩く人たちがいるからこそ、意味がある。

帰りのタクシーの運転手は言った。
 「結局、普通の人たちにとって、後世に残るのは、お墓だけなんですよね」と言った。確かに私たちの社会には、特別なことをした人たちには、それを残す施設が存在する。しかしほとんどの人には、それを残す社会基盤が存在しない。それは、ひとり一人の“生”を軽んじていることになる。

 

私たちには、一人ひとりの志を残し未来に伝え、それが生きるインフラが必要だ。

私たちは、現在、サムライソーシャルネットワークというインターネットの社会基盤を発展させている。それは、大和魂と大和心を永久に保存し、後世で活かすことができるシステムだ。

大和魂とは、「志に生きる」ことであり、大和心とは、「人の気持ちや自然の移り変わりを感じながら生きる」ことである。この二つの精神を後世に伝えるサムライソーシャルネットワークを、桜の木にしようと決意している。

「これを、志ある人たちの魂や心を永遠に残し伝える社会基盤にしよう!」

そのような結論に達したとき、やり切れなさは消えていた。

一度だけしか来ないと決意してきた知覧の景色、遺書、特攻の母の後継者の言葉を、刻み込んだ。

私たちは、有限なときを、有限な肉体で、有限な経験と知識で生きている。

そのサムライ時間の中で、自分のできることを、ただ全霊で、淡々とやればよいと思った。そして、「その志を、その道を、伝えていく社会基盤を、皆で創っていこう」と。

                         出口 光