2006/11/20 
2008.08.04  

第6話 虎の穴時代

目出度く空手界の東大?の入学試験をパスして目出度し目出度し・・・と言うわけではなく、本当の試練はそこからスタートしたと言えます。

 

内弟子に入ってからと言うもの、筆舌に尽くしがたい過酷な鍛錬が待ち構えていました。

寮には、当時多いときで約30名の内弟子がいました。皆、全国から集まった一癖も二癖もあるような男たちです。そのどれも日本一を目指し、最強の格闘家を目指している者たちばかりですので、気許しがなりません。いわば皆仲間であると同時にライバルでもあるのです。

 

ここで内弟子時代における簡単な日々の稽古メニューを申し上げます。これで、私は先輩たちの「虎の穴」だと言う意味がやっと分かりました。

 

朝は5時起床。10キロのランニング。腹筋500回、腕立て伏せ500回、スクワット500回などの体力運動。そして、各自は仕事に出かけます。

 

寮生と言っても自分たちの食い分は自分たちの力で獲得しなければ誰も食べさせてはくれません。しかも仕事も田舎のこととて、よそ者の我々にはろくな職にありつける筈もありません。せいぜい道路工事やみかん運びの肉体労働ぐらいのものです。しかもきつい労働に比して驚くほどの低賃金なのです。

 

私も、みかん運び、道路工事、水道工事、墓穴掘り、建材配送など様々な職に就きました。稽古のきつさに仕事のきつさも加わって丸一日体を動かしっぱなしです。しかもお金がないので、ろくろく食事もとれない状態です。

 

仕事を終えたら、今度は道場にて本格的な稽古が始まります。道場に早めに入り、ウェイトトレーニングを行います。ベンチプレス100キロを上げ下げしたり、スクワット1000回、また45度に傾斜のある腹筋台で、腹筋1000回などを準備体操がわりにこなします。

 

他にサンドバックを叩くもの、ロープスキッピングをする者、巻き藁を突く者、二人向かい合って組手を行う者など様々です。そして、正規の稽古の時間がきたら整列し正座して、先生を待ちます。

 

先生の稽古は度を越して厳しく、まず基本稽古と言われる10種類以上ある突きや打ちや受けなどの上半身の技を各100本。また同じように10種類以上ある蹴り技も各100本。

 

息着く間もなく、移動稽古や、組手稽古、体力運動と続きます。汗で、冬でも道場の床に水溜りが出来ます。トイレで嘔吐する者もいます。気を失うものもいます。

 

このように既成の稽古が終わったら、今度は各自の自主稽古に入ります。まず、外へ出てランニングです。約20キロ走ってきます。それも、力がついてくると、手に5〜20キロのダンベルを持って走ります。もっと力がついてくると、大型トラックのタイヤをロープで引きずって走ります。それも1個から始まって2個、3個と増えます。まるで馬車馬か、農耕牛です。

 

ランニングから帰ると、サンドバックに向かって一万回突き蹴りを叩き込みます。こういった一連の稽古は毎日続けられます。もちろん休日などありません。全日本選手権が近くになると、その選抜のため一層稽古はエスカレートします。

 

これに夏の合宿、冬の合宿も加わります。また、地方の支部道場への出稽古や他流試合も行います。私たちの試合はいわば道場破りです。極真が今日のように広がった要因のひとつに、われわれのような鉄砲玉による道場破りもかなり貢献しています。道場破りについてはまた詳しくお話します。

 

夏の合宿は焼け付くような太陽のもと、やはり海岸で行われます。海岸で波打ち際での10キロのランニングを皮切りに、海水に浸っての組手稽古や、飛び蹴り稽古、腕立て伏せ1000回、腹筋1000回、そして海に体の半分をつけて1000本蹴りという稽古を行います。

 

冬は雪の積もった中で裸足になってランニングや基本稽古、組手、そして凍てつく滝場で、滝に打たれながら突きや蹴りを行います。動かないと体が凍ってしまいます。

 

これらの道場稽古の他、われら内弟子はさらに稽古を行います。普通並みにやっていたのでは、代表選手になれませんし、まして芦原英幸の内弟子としてふさわしい実力を兼ね備えていなくてはならないという自覚があったからです。

 

さらに、もう一つ、内弟子同士ででも稽古量で張り合います。一体、いつ寝るのかと言った感じです。私も他の内弟子に負けまいと様々な稽古を行いました。例えば、真夏の炎天下の中、八幡浜市から松山まで走りました。距離は約80キロほどあったと思います。

当時、貧しい生活でランニングシューズなど持ってなく、普段は裸足で走っていたのですが、さすがに遠距離は裸足ではきついと思いました。

 

走ろうと思った早朝の4時、寮の玄関に出ますと他の寮生の靴が並べられていたので、適当に足を突っ込んで勝手に靴を拝借して走り始めました。ところが、靴の寸法が合わないというのは、こんなにもきついものなのかと言うことが途中で分かりました。

 

約10キロ走ったあたりです。足に痛みがきたので靴を脱ぐと、足の爪が真っ黒けになっています。内出血です。もう痛くてならず、しかたないので、靴をもって走りました。しかし、夏のこととて昼ごろになると道路のアスファルトが熱せられて今度は熱くてならず、靴を履かずにはおれません。靴に半分足を突っ込むようにして、激痛に耐えながら足を引きずって走り続けました。

 

おまけに朝から何も食べてないので、お腹がすいてたまりません。もちろんお金など持ってないので、食事も出来ず、途中にあるミカンの木にぶら下がっている、まだ青いミカンの実をとってはほおばり、川の水を飲んで走り続けました。

 

ようやく松山市内に入った時、あまりに空腹で気を失いそうになりました。そんな時丁度、沿道から外れたところに食堂があって、思わずその食堂から漂う匂いにつられて入っていきました。食べたあとで、土下座してあやまろう、そして、お金を後で送るか、またはそこで働くかして返そう・・・と考えたのでした。

 

とりあえず、一番安いきつねうどんを注文しました。その、うどんの何と美味しいことか。どんぶりまで食べてしまいたいような気持ちでした。その私の食べっぷりの、あまりに勢いの有る様子にあきれて、じっと眺めていた隣に座っていた男性が声をかけてきました。

 

「どこから来たの?」私は「八幡浜から走ってきました」と言うと大層驚かれ「なんで?」と話は始まりました。私は正直に経緯を述べましたら、いたく感動され、私の食べた分まで勘定をしてくれたのです。また、駅まで送ってくださり、その上、帰りの電車賃まで貸してくださいました。後日、早速お礼の手紙を添えてお金を返しました。

 

電車で戻れば2時間ほどで帰れます。何とか今日の夜の稽古までに帰りたいと一生懸命でした。しかし、10分ほど遅れてしまいました。その日は先生が号令をかけられていました。叱られるかな・・・と、思い恐る恐る道場に入っていくと、先生は笑顔で「おお、前田、よく頑張ったな」と拍手してくださったのです。道場の弟子たちも全員一緒に拍手をしてくれました。

 

何でご存知なのかな、と思っていたら、先生が松山からのお帰りで車の中から私が走る姿を見ていたようなのです。先生は何でも知っているな、と見直したものです。「大丈夫か?」と先生が案じてくれましたが、「押忍!」と答え早速着替えて稽古に入りました。その日も稽古も厳しいものでしたが、先生の嬉しそうな笑顔で心和む思いでした。

 

道場に立って、ふと足元を見ると、足の爪10本がすべてズルリと取れてしまいました。そして血で床が汚れました。痛いことこの上ないのですが、なぜか幸せでした。

 

また、大晦日の夜のこと、除夜の鐘が鳴り響くのを合図に、金山出石寺と言う奥深い山の中にある寺に向かって、大雪の中稽古着一枚で走ったこともありました。途中、寒さと空腹で動けなくなり、山中の暗闇の中で一時倒れ、雪に埋もれて遭難しかけたこともありました。いまとなっては漫画のような夢のような出来事で懐かしく思い返されますが、当時は必死でした。

 

このように稽古三昧の毎日でしたが、三食食べるのもままならない劣悪な環境でしたので、栄養失調で倒れる者も続出しました。逃げるように内弟子を断念するものも後を絶ちませんでした。この過酷な環境に加えて、もう一つ皆が逃げるような恐るべきことがあったのです。それは今後の私の人生にとっても大きな影響を与えた事件でもありました。

 

皆さんは心霊現象を信じられますか?私たち寮生が住んでいたところは元は病院でした。あまりに院内での死亡者が多くて閉鎖されたのです。その後、空き家になって、借りる人もいましたが、間もなく引越しされ、また、別の人が借りても、またすぐ引越しされるのです。

なんと幽霊が出ると言うのです。

 

そういう妙な噂もたって、長い間この建物は放置されたままでした。そんな時です。私たちが寮となるべき住むところを探していたら格安の物件があるとの情報を得て飛びついたのです。見ると木造で古いのですが、部屋数が沢山あって寮にぴったりです。最初なんで、そんなに安いのだろうと不思議でしたが、とにかく安いのでみんなでお金を出し合って喜んで借りることにしました。

 

寮生は、当時約30名、多いときで40名はいました。どれも皆志をもってこの四国の片田舎にやってきました。実戦空手日本一を目指して来た訳ですから度胸は満点です。またライバル意識も手伝って鎬(しのぎ)を削る猛稽古が展開されていましたので、根性と頑張りは誰にも引けをとらない豪傑ぞろい・・・のはずでした。

 

ところが元病院であった寮に入ったとたんに、その豪傑たちが次から次へと寮から逃げるようにして出て行くのです。そうです。「幽霊がオンパレードの巻」となったのです。まったく驚きました。あんなことが今の世の中にあるなんて。

 

そういうことで、今回は人間相手に戦う話でしたが、次は幽霊相手に奮闘するお話をさせていただきます。

                                続く・・・

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