2007/01/22  
2008.8.25  
  

第9話「お化け騒ぎ顛末記2」

再び、お化けの話です。

私にとっても、不思議で、また悲しい思い出でのある話です。

 これは、私が八幡浜に行って2年目のお盆の日のことでした。

私たちの先輩に、中本先輩という方がいて、日頃から何かとお世話になっていました。無口ですが、誠実な方で、芦原先生も信頼をおいていた方です。回し蹴り、それも上段の高さ専門に、機関銃のように蹴り続ける猛烈なファイターでした。

 その中本先輩の弟さんが、川之浜という、八幡浜近郊の海水浴場で遭難したとの報が、突然寮に飛び込んできました。

 婚約者の女性と海水浴に来ていた弟さん、遊泳中に溺れた彼女を助けようと、救助に向かう途中で自らも行方不明になったとのことです。婚約者の女性は、急行した漁船に助けられ無事でした。この弟さん、もちろん地元の人間で、泳ぎは達者過ぎるほど達者でした。

 「なんであの人が・・・」と周囲が驚きました。

 そして「お盆に海に入ったらだめだと言うのに」と付け加えます。地元では、お盆に海に入ったら、海の底から、霊が足を引っ張ると信じられていたのでした。

 われわれは、とるものもとりあえず、急ぎ川之浜に急行しましたが、すでに地元の方たち、および水上警察や消防署がきて、大掛かりな捜索が始まっていました。

 

船を出し、沖合いから、また陸から海岸線を隈なく探し回りました。「もしかしたら、どこかに流されてるかも知れない」と一途の望を抱きました。

 及ばずながら、私たち寮生たちも、生きていて欲しい、と心に願いながら、捜索に加わりました。しかし、捜索は難航し、何の手がかりも得られません。

 数日後「これはきっと海底に沈んでいる、底引き網で引いてみよう・・・せめて遺体の回収だけでも」と言うことになり、沖に漁船を出し、網を投げ、また隣の市、宇和島市から潜水のプロを二名雇い、暗い海底を捜索してもらいました。

 しかし、終日捜索しましたが、海の底から上げられるのはゴミばかりで、何の手がかりもありません。潮の流れは思ったより速く、それは川の激流以上の速さです。沖には、ゴミがけっこう多く、海流にのってどこやらへ流れていくのが見えます。

 「あの人も、この潮に乗って、どこかの島か浜に流れているかもな」と、励ましあって、その日の大掛かりな捜索は打ち切られました。

 芦原先生は「おまえらご苦労だけど、中本の為に頑張ってやってくれ」と内弟子の稽古休止を許可し、道場も全面的に協力体制に入りました。ことに、中本先輩のお姉さんの姿を見てると、実に哀れでした。捜索が終わった後も、いつまでも海を眺めておられます。その姿を見て、何とかしてわれわれの手で見つけてあげたいと思うのでした。

 五日が経った頃です。

 「もう探せる範囲は探した。これ以上は無理だ」そういって警察や消防署も捜査の打ち切りを宣言しました。

 「それじゃ、俺たちだけで探そう」

きっと見つけて見せる・・・われわれ内弟子は、意地になりました。

 浜の海の家に隣接する民宿で寝泊りし、早朝から漁船を借り、私と同門の村上さんと言う男は、海上から捜索し、また陸から、海岸線を別の内弟子の山田君がジープで探しました。

 村上さんは、地元の人間で、家はミカン農家で、大きくは無いが、骨格逞しく頑丈な男です。趣味は、その容貌に似ず絵を描くことで、男前とは言えないが、力は強くて、やさしい人物でした。私より後輩ですが、ほぼ同時期に黒帯を取得した実力者であります。

 山田君は、名古屋から来た若者で、いいとこの坊ちゃんらしく、どこと無く垢抜けして、着るもの、持ち物が、我々乞食同様の寮生とは随分次元が違っていました。

 内弟子になるも、すぐ寮を出て、名古屋から追いかけてきた婚約者と同棲を始めた変わり者です。我々、おんぼろの自転車を駆って走り回る輩と違って、隣にかわいい女性を乗せ、颯爽と新しいジープを駆っていました。しかし、なぜか憎めない男でした。

 そんな仲間たちと、捜査は再開されました。規模も小さくなりましたが、気合は充分でした。

 

夏の陽射しはきつく、われわれの体は真っ黒け。皮膚の皮も破れて、ヒリヒリします。
 
 そして、遭難から一週間目の夜を迎えました。

 われわれは民宿で、夕食も終え、部屋に戻ると疲れた体を横たえました。
 「あ〜、今日も発見できなかったなあ・・・」
 もう12時を過ぎていました。ため息を漏らしつつ、草臥れも手伝って、うつらうつらとしていました。


 すると、玄関の方で、戸がガラリと開く音がし、誰かが中に入ってきました。

「こんな遅くに誰だろう?」と思いつつ、私達は部屋でうたたね寝をしていました。入ってきた人の、その足音は、私達の部屋の前を通り過ぎ、二部屋隣の遭難者のお姉さんの部屋に入っていきました。「身内の方でも見えたんだろう」ぐらいに思いました。

 そして、お姉さんと、その入っていった方でしょうか、話しが始まりました。話し声は、内容までは分かりませんが、私達の部屋にまで聞こえました。私達は、気にもとめず、いつの間にか眠りに落ちていました。

 あくる日の朝です。朝食の席で、お姉さんが目に涙を浮かべて、こう言い放ちました。

 「今日、弟は海から上がります」

 

「えっ?」と驚くわれわれに続けます。

「昨夜、弟が部屋に来ました。そして、こう言うのです。『お姉さん心配かけてすまない、ぼくは、今日海から上がります』と・・・」

 

『すると昨夜の、玄関に入ってきたあの足音と、部屋での会話は・・・』私達は、瞬間、背筋がぞっとしました。同時に『そうか、今日帰って来られるのか』と、嬉しく思いました。

 外へ出ると、その日はことのほか快晴です。今日も暑くなりそうです。
海は、べたなぎ(波が穏やか)です。

 「よし、今日はお迎えの日だ」と私達は期待を胸に、勢いよく船を沖に出しました。

 しばらくして船に無線が入りました。
 「岩場に何か浮いている、どうも人らしい」
 海岸に泳ぎにきた子供たちが、近所の家に通報し、それが捜査をしていることを知る地元の人が、自分の漁船から我々のもとに連絡をしてきてくれたのでした。

 その岩場とは、ここから20キロも離れています。とにかく急ぎ船を急行させることにしました。風が頬に当たり、顔がゆがみます。

 『生きていてくれ』

私達は祈りつつ、波にぶつかって揺れる船の縁につかまって、猛スピードで海上を駆けました。

 現場近くに着くと、発見者の子供らが大人たちとともに「あそこ、あそこ」と、遠巻きに恐々と指を差します。

指差す方を見れば、確かに岩場の影に何か浮いています。

 「ゴムボートではないのか?」

 そう思うほど、その物体は、膨れ上がり、水面すれすれにまで浮いているのです。
近くまで行くと、それは、まぎれもない「人」でした。

 体が倍にまで膨れ上がり、髪の毛がすべて抜け、眼球がありません。そして、物凄い腐敗臭が鼻をつきます。

 「見ないほうがいい」
 私は、お姉さんの目を覆いました。

 とにかくすぐ警察に通報し、急ぎ来てもらうことにしました。それまで、波に流されないように捕まえておかなくてはいけません。

 村上さんと私は「ここはわれわれが」と促し、海に飛び込み、岩場の間に浮かぶ遺体を波にさらわれないように、二人で遺体を抑えて待つことにしました。

 しかし、私は、あらためて、側で見る、その遺体の損傷の凄まじさに躊躇し、手を触れかねました。すると、間髪をいれず、村上さんが私に向かって怒鳴りました。

 「前ちゃん、何のための黒帯なんや?! 道場だけの黒帯なんか?!」
 この一喝で「そうだ、俺は黒帯なのだ」と、はっと目が覚めました。そして、両手で、力いっぱい遺体を押さえました。

 波打ち際なので、その流れは思った以上に強く、支えているのがやっとです。波が来るたびごとに、三人は体がバウンドし、波にさらわれそうになります。
私達は「おりゃー!」「えいさー!」と、まるで空手の試合のように声を張り上げて気合を入れ、波の力に耐えました。

 

待つということの、何と言う長いことか。なかなか警察や救援の人々は来ません。

気が遠くなりそうな腐敗臭や、崩れた形相にもいつしか慣れ、私達三人は、ざんぶ、ざんぶと波間に揺らいでいました。何と言うのか、生死を越えた間柄と言うのか、妙な一体感が、私達を包みました。


 いつしか、私達は遺体に話しかけていました。

 「中本さん、苦しかったやろ。つらかったやろ」

 「でもよかったな、見つかって、本当に良かったなあ」

 もちろん返事はなく、ただ、波の音だけが聞こえるだけですが、その波の音が彼の言葉のように聞こえました。気のせいか「ありがとう、みんな、ありがとう」と聞こえました。


 そうこうしている内に、けたたましく船のエンジンの音が聞こえてきました。水上警察の警備艇です。急いで手を振り「こっちだ!こっち!」と誘導しました。船は、エンジンを止め、ゆっくり近づいてきます。警察は「よし、こっちに上げて」と、船に上げるよう指示します。

 

水死すると、一旦海底に沈み、海中で腐乱してガスが発生し、体が倍ほど膨れ上がって海上に浮き出します。だから、遺体が水面ぎりぎりに浮きます。目は魚に食べられて無く、膨れ上がった体は、水を含んで重たいのです。まるで、水袋のようです。また、ぶよぶよしてつかみにくい。

 そんな重たい遺体を、私と村上さんと、必死で海から船に抱え上げますと、船上で検死が始まります。検視官が慣れた手つきで、写真を撮ったり、男女の区別を確認のため、はさみで海水パンツを切ったり、様々な検査が行われました。

 こうして、一連の検死が終わり、遺体にシートをかぶせて、警察は現場を去りました。我々も一旦民宿に帰り、後片付けをして、ようやく長い捜索活動は終わりました。遺体は、腐敗が激しく、即日、火葬され、そのまま葬儀の準備が進められました。

 さて、かわいそうなのは、命拾いした婚約者の女性です。泣いて、泣いて、泣き叫んでいました。

早、あくる日が告別式です。
 我々の献身的な活動に、芦原先生も「よくやった、ご苦労さん」とねぎらいの言葉を頂戴しました。

 告別式に出るにも、式服も無く、道場の稽古仲間になる河野さんに、服を貸してもらいました。この河野さんは、野球の巨人に所属していた河野選手のお兄さんです。

 幸い、河野さんも体が大きいので、私にもその服が合いました。こんな遠くまで来て、黒い式服を着ることになるとは思ってもみませんでした。

 この事件、いま思い返しても本当に痛ましい出来事でした。毎年夏になると、その時のことを思い出します。

 あの泣いていた婚約者の女性。いまは幸せに過ごされているのだろうか。

また、明日、自分は帰ってくると伝えに来た弟さんのことは、一体どう説明できるのでしょう。

 

前回のお化け屋敷の話と言い、今回の遭難事件と言い、私は大きな学びをいただいたような気がします。

 

それは、肉体は朽ちても、その霊魂は、生き続けに生きていると言う事実です。

 

このような不可思議な現象に何故か普通のひとより遭遇することが多いような気がします。これも武道家という特殊な世界に生きているからと考えています。その意味するところをいずれ書きたいと思っています。

                                続く・・・

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