2007/02/26
2008.09.01
第10話 「言霊〜根源の力」
順番を追って、自分の自伝を書いていますが、別に私の半生を描くのが目的でもないので、ちょっと、私も肩の力を抜いて自由に書かせていただこうと思います。
この先、回顧録も織り交ぜて、主に専門分野である武道についても、まじめに言及していきたいと思います。
皆さんの抱く武道は、きっとこうでしょう。向かい来る敵をばったばったとなぎ倒し、勝利するためのノウハウを学ぶこと…どうでしょう?
確かに違いありませんが、日本武道は決してそんな浅薄な世界観にとどまるものではありません。そもそも敵が出来ることが、また人を敵としてみること自体が誤りです。
武道は、その思想と技を宇宙的視野にまで昇華させた素晴らしい文化を保有しています。それは、世界で最も古く、最も実用的な文化と言えます。私は、武道こそ、日本が世界に誇る伝統文化遺産ではないかと信じ自負しています。
「武は、矛を止めること」と言う意味は実は間違いです。本当は、字の如く「矛をもって大地に踏ん張る」神の姿を現したものです。
矛は、イザナギ、イザナミの両神が国生みを行う際に持たれた神器なのです。破壊のために用いたのではありません。創造の技こそ武の道の始まりです。
武は、陰陽の水火の結びの技を示したものです。いかにして相手と手をつなぐか、いかにすれば国と国とが和することが出来るのかを学ぶ道です。
そのために、武の道にあるものは、命を懸けて神に祈り、五体をもって徹底的に鍛錬を行ってきました。その結果、行き着いた世界は、やはり宇宙にさかのぼる壮大な歴史ロマンでした。人類は、とうとう自分の中に宇宙を発見したのです。
このように、正しく武を行じていきますと「宇宙即吾(うちゅうすなわちわれ)」と言う言葉は自然に出てくるようになります。稽古によって培った肉体と精神はことのほか完成度が高く、その技をなす姿には誰しも感動を覚えるのです。そこに顕現する精神と肉体の絶対バランスの世界に誰もが息を呑むのです。
人々は、古来より武の持つ強さに憧れ、その強さの中に潜む美に共感をしました。技を成すときに形作られる完全なバランスと、微妙な誤差をも許さない呼吸、そして、その命がけの中から生み出された理念は、未来永劫いつまでも変わることのない宇宙観であります。いにしえの人々はその姿と言葉に心から感動したのです。
そして、武の技をなす理想的な手さばきや歩き方などに憧れ「舞」が生まれ、その気合から「歌」が生まれ、その武具を扱う作法をもって「茶」が生まれ、その考え方から宗教、あるいは哲学が生まれました。
根源の美の先にあったのが、なんと「武」であったのです。あらゆる芸事は「武士の嗜み」として行われてきたのです。まず、武の道ありきです。これを知り、また認識する者は現代において恐らく少ないと思われます。(私も手前味噌と笑われるのを覚悟で書きました)
なぜ、こうして武の道が廃れたのか、それは、人をあやめる技として用いられたと言う悲しい歴史があるからです。現代でも、格闘技やスポーツに成り下がっているという悲しい現実に直面しています。
健康にいいからといって格好を選ばず体を動かしてなりません。その動きや声が、動物のごとく競うため、争うために用いられるようなものであってはなりません。私たちは神と等しい人間と言う存在です。その動き、呼吸、言葉に威厳と品格がなくてはなりません。
純粋な日本武道には、神から授かった水火の力を元に行動する原理が説かれています。神の前で行っても(奉納)恥ずかしくないものでなければなりません。他国から入ってきた動物のポーズを真似るものや、動物の動きを技とするものは考え物です。
それがなぜ、だめなの…?と問う前に、まず己の腹に聞いてみてください。次に私の話を聞いてください。これから、なぜ日本がこのように堕落したのか、またどうすればいいのかを、武道の技の説明を通してお話していきたいと思います。
まず、日本を説明するなら言霊と言うことは抜きに出来ません。
なぜなら日本はどういう国かと一言で答えるならこう答えるからです。
「言霊の幸はう国」であると。そして、日本とは、その言霊の剱(つるぎ)によって生まれた国であると。
これだけは、お願いです、このことは、この誌面をご覧になられた方には是非ご記憶にとどめてください。また、決して「コトダマ」などと発音しないでください。正確には「コトタマ」です。今後、この誌面をお借りして私が訴えますほとんどが、この言霊と剱についてのことになろうと思います。
それは、もしかしたら、いままでの皆様の考え方を覆すことになるかも知れません。
一つの例が、まず言霊には、漢字が当てはまりません。漢字とは、その字の如く「漢の国の字」です。言霊は、音響の世界ですので、漢字を当てはめると本当のことがぼやけてしまいます。
一度、漢字の概念を取っ払ってしまわないと本当の日本は見えてきません。私は漢字が苦手で…と嘆く方、あなたはもしかしたら本当の大和の国の血を感じている人なのかも知れません。
さて、一概に言霊と言っても、その解釈は様々です。
ほとんどの宗教者、学者は、言います。「言霊は難解なものである。そうやすやすと身につけられるものではない」と。
果たしてそうでしょうか?そんな、ややっこしいものを私たちの先人は残したのでしょうか?
使えそうにないような、化石のような遺物を、あの素晴らしく懸命な私たちの先人がわざわざ後世に残すでしょうか?
いいえ、私はそうは思いません。私たちの先祖は、非常に科学的で、理知的で、温厚で、画期的な文化と奥深い道徳をもった民であったはずです。
それこそ、遠い未来を予見し、来るべきこの国の災難、受難をすでに予見していました。そして、そんな後世のためのカンフル剤として一つの法則を大成しました。簡単で、実用的で、効果のある法則です。それが言霊です。
私はいまこそ、これを解凍し、使用する時が来たのではないかと切に思っています。
少しずつ言霊の法則や、なぜ言霊が武道なのかなどを、気ままに書かせてください。
そして、私が必死に和良久を広める気持ちを察していただければ幸いです。
言霊とは、「アオウエイ」の五つの父音を原子として「75声」の基本電子をもつエネルギーで、物質世界を動かす必要不可欠な要素だと思ってください。
言霊のことを、古来より「神霊元子」と言われています。それは大気中に遍満する非常に細かい粒子で「極微点の連珠糸(こごこのさぬき)」とも表現され、それは「これ以上細かく出来ないほどの粒子が連なったもの」と言う意味です。
そのわれわれを生かすエネルギーである言霊の存在は、まさに「光」であり「神」であると讃えられてきました。
聖書(ヨハネ伝)にあります。
「はじめに言葉があった、言葉は神とともにあった。言葉は神であった…すべてのものはこれによって出来た…この言葉に命があった。そして、この命は人の光であった」
75もの言霊を用いる民族は、この日本の民にしか許されず、その言霊の強い力によって世界を安寧に保ち、また日本も外敵の侵入から守られていたと信じられてきました。
これは最強に堅固な「結界」でもありました。悪魔は、その言霊の威力を恐れこの結界を越えることは出来ません。悪魔とは、この宇宙のバランスを崩す存在と言うことであり、つまり、光に影であり、言霊の法則を乱す輩と言う意味です。
崇神天皇の時代「和光同塵」の神策が行われました。「ひかりをやわらげ、ちりにまじわる」つまり、日本を守護する言霊の威力を隠してエネルギーレベルを落し、海外の文物を招集したのです。これはすなわち結界の解除でした。
これにより、確かに文明の発展は招来させましたが、同時に悪しき風習、猜疑、虚栄など暗黒の思想をも生ぜしめたのです。
明日の日本の発展を慮ってのことでしたが、ほどほどならまだしも、何事も「過ぎたる」はいけません。いまもう一度言霊の光を現し、結界を張りなおすことが急務になってきました。
これらの弊風を根本より革正するのは草薙の神剱の発動に待たねばならない…と、心ある賢者は叫びました。草薙の神剱の発動とは、地上に神の権威を発動させると言うことです。
神の権威とは「言霊の威力」ということです。
何より敵を作らないこと、つまり、日常から人に恨まれないこと、人の嫌がることをしないことが大事ですが、そのためには、お互いの結界を見出すことです。分かりやすく言い換えれば、お互いの分を知り、間をとると言う事です。これを「ツルギ(剱)」と言います。剱とは、お互いを「釣り合わせる儀」なのです。
先人たちは、古来より犯すべからざる神聖な磁場を守るため、また、異界の霊的侵入者からその区域を守るため結界を張ってきました。
鳥居、縄、渦絵文様、塩、砂、石・・・など、様々な物を用いて区域を限定し、呪文、祝詞、経文などを唱え境界をつくってきました。
これは宗教的手法ですが、一般的には国、学校、企業、家庭、個人など人が集まって集団を形成すると、そこにはそれ相応の結界が生じます。
いま様々な磁場の結界が破られています。まず国の結界が破られ、沢山の外国の邪霊、邪神が侵入しています。次に学校、企業。そして個人の身にも。
結界を形成するには中心がしっかりしていなければなりません。剱による鍛錬をもって胆力がなければなりません。学校であれば校長。会社であれば社長。家であれば親。それが中心の柱になります。中心となる人がぐらついていてはいけません。中心にぐらつきがあると、その円周、つまり結界がゆるみ、また途切れて来て、いわゆる隙が生じます。
破れた結界には、その隙から吸い込まれるようにして異界の者が侵入をし、境内を乱します。
犯罪者はある種の超能力者です。重罪を犯すような犯罪者ほど魔力の優れた超能力を有しています。彼らにはその「すき」が見えます。
例えば泥棒は、住宅街を歩いていて留守の家がわかります。スリは電車に乗ると、スレる人がわかります。猫はねずみの居るところが、殺人者は殺せる人間がわかるのです。
それは結界が弱いところや崩れているところ、また、消えているところを狙って風の様に侵入して、たちまちにその場を犯していきます。
結界は正しき磁場ばかりではありません。逆の、悪魔の張りめぐらした結界もあります。ここに踏み込むと痛い目にあいます。もう一度私たちは、私たち自身と愛する人たちを守るために結界を張り直さねばなりません。
続く・・・