2007/08/06  
2008.10.21   

17話「言語は国のリズム」

話を前回のものと繋がっていないかもしれませんが、自由に書くことをお許しください。

 

武道和良久をスタートさせて早いもので8年目になりました。最初からみるとかなり肩の力も抜けてきて周囲の声も冷静になって耳を傾ける余裕が出てきたように思います。

 

和良久の稽古は、言霊の法則を基本としています。

世界に唯一の木剱「ツルギ」を用い、動きも考え方もまったく類が無いと言っていいほどのオリジナリティーに富んでいます。(と申しましても私が苦心して創作したものではなく、太古の言霊の理念を形にしたまでのことです〜人が創作したのでは意味がありません)

 

私自身が教える立場でありながら、実はこの和良久の底知れぬ力に今手がつけられない状態です。なぜなら、生きている言霊というものをベースにしていますので、稽古を行うたびに変化、変化の連続なのです。

 

わけの分からないノンストップの稽古にも着いてきてくれる有志がいつの間にか増えてきました。そんな有志たちのお陰で何とかここまで歩いてこられました。

 

「どうだ、この技の美しさ、強さ速さは凄いだろう」「これが西洋かぶれの凡人に分かるものか?」などと、当初、私にはあつかましいくらいの自負がありました。

 

今でもその技に対する確信はゆるぎないものですが、最初にもっていた心境とは大いに違うものとなりました。これもやはり言霊を学ぶご利益なのかと思います。

 

 今私はこう思うのです。

「言霊の法則を知る・・・これは何も凄いことではない、このような言霊の秘密はすでに太古の昔からあったもので、ただ皆がそれを忘れているだけのこと。いまに皆が思い出し、きっと輝かしい未来を築くに違いない」と思えるようになったのです。和良久は、そのきっかけを提供するに過ぎないということも分かりました。

 

この国には、外来から多くの優れた文化が流れてきました。それとうまく融合して今の日本はあります。日本人は「和の国の人」とはよく言ったものです。外国のものでも、いつの間にか日本の風土に上手に溶け込ませる技をもっているのです。

 

しかし、それは姿形だけならまだしも、心まで染まってしまったなら怖いことです。どこかで日本を思う気持ちを大事にしてほしいと思います。腰で動き、腹で考えると言う文化を捨てて、一体どこに日本があるのでしょう。

 

私は外国のものを悪く言う気持ちはありません。私も海外は大好きです。懇意にする外国の友人も多いです。稽古の関係で年に一、二度は渡航します。

 

ヨーロッパの素晴らしい伝統文化に触れて涙したこともあります。これからももっと交流を深めてより仲良く理解しあいたいと思っています。

 

そのためには一体何をすればいいのでしょうか?と考えるのです。

 

外国語をしゃべれるようになるのも大事でしょう。その国の着るもの身に着けるものや、マナーやエチケットを知ることも大事でしょう。

 

 しかし、もっと大切なのは、その国に行ったとき自分は自分の国の文化を、言葉を充分理解しているのだろうかと言うことです。自分は大きな顔をして日本のことを言えるほどの日本人なのだろうかと言うことです。

 

 どこの国でもそうですが、外国から来た人はその国の文化、芸術を知った者として受け入れます。また確かに日本で会う外国人の皆さんは、よく自国の文化を誇りにして胸を張ってそれを私たちに紹介してくれます。時には、その国の伝統の踊りを見せてくれ、国の美しさを私たちにも情景が浮かぶように語ってくれます。その時の眼はキラキラと輝いています。とても素敵だと思える瞬間です。

 

 ところが、日本人が海外に行ったときどうでしょう。行った国に馴染もうとするのは分かりますが、どうも自信なく、だらしなく見えてなりません。日本をどこまで知っているのか。その前にどれほど日本を誇りに思っているのかです。誇りのもてない人の姿は貧弱に見えます。

 

 アメリカの友人は堂々と「神」と言う言葉を会話の中で口にし、星条旗を誇りにしています。日本では何故かそういったことがタブー視されています。神仏と言うと宗教臭い、日の丸は偏った国粋主義者に過ぎない、などと言う人が多いのはなぜでしょう。

 

 日本人であって日本人で無くなった人がやけに増えてきました。これは本当に寂しいことです。

 

 私は、何もサムライの格好をして刀をさして歩けというのではありません。命がけでこの国を愛し護った先祖たち。その先祖たちがこれまた命をかけて残した文化。そういった先人たちの技の継承は難しいにしても、その思いだけでも受け継いで欲しいのです。

 

 これはどの国の人にも言えることです。英国人は英国を、韓国人は韓国を、日本人は日本を愛してほしいのです。そうして自分の国を愛するように他の国を愛して欲しいと思います。

 

グローバル化しているのは良いのですが、まず自国のことをどれだけ知っているのかが問題です。日本人に限らず、世界中の若者たちにはグローバルと言う呪文に惑わされることなく、しっかり自国の分化を継承してほしいと思います。絶対無国籍人間にはなってほしくありません。

 

 なぜ、神は言葉を一つにしなかったのかを考えることです。

 

それはその国々がもつ土地特有のリズムによるものです。

 

歌や音楽は、土地の風土や環境が人を通して生み出される魂の躍動です。土地が持つエネルギーの波に合わせてリズムは生み出されます。そのリズムにうまく乗ることが、その環境に適合する最も懸命な方法なのです。

 

これは生存のための本能が為す業とも言えましょう。

言葉は歌です。歌はそれぞれの国がもつ自然エネルギーの躍動によって生れました。

 

日本語は日本の国のもつエネルギーによって生まれたリズムです。それを歌うと楽しく健康でいられるのです。海も川も山も喜ぶのです。

 

果たして、このリズムである言葉が昨今、急激に乱れを起こしはじめました。

 

人が獣と違うのは言葉をもっていることです。

言葉による緻密なコミュニケーションをとり合えることです。

 

近頃、獣のような人が増えてきました。人間の格好をしていますが獣です。平気で同族を傷つけ殺しています。これは絶対人間には出来ないことです。

 

なぜ獣になったのか?

原因は唯一「言葉の乱れ」です。

 

人語を解する穏やかな言葉がつかわれず、叫び声、うなり声など、まるで獣が吼えるような声が響く今日の社会です。人の形をした獣が勝手気ままに横行する有様はまるでジャングルそのものです。都会のジャングルでは、狼や虎が餌を求めて常に小さな獲物を狙っています。

 

「言葉の乱れが世を乱し、天地の災害を招く」と、いにしえの賢人たちははるか昔より神の啓示を受けて警告を発していました。澄み切った時代と思われた太古の昔にも人心荒廃があり、それがために天変地異が繁茂に発生していたのです。

 

そのときに神がとった行動が何かと言えば、賢人を通して言霊の教育を民衆に施すことだったのです。この言霊の法則を一通り伝え終わった時、天変地異はおさまり、人心荒廃は止んだと言われています。実に言霊には万物の心と体を動かす力をもっているのです。

 

しかし、神は「今おさまったとて、いずれまた乱れるだろう」とも予言していました。果たしてその予言は今の世において的中しました。

 

このように人類は何度も過ちを繰り返しているのです。なんて浅はかなことでしょう。

 

「世が乱れたそのときにこれを用いよ」と、その賢人たちが後世の志ある者に託したのが、言霊の法則を図式化したものでした。志ある者とは、その時代、時代の非常時に、危機を察し、時を同じくして無意識的に集う名も無い者たちのことです。

 

私たち和良久はその言霊の法則を紹介するために活動を開始しました。

 

無論、力なきわれらに何が出来るか、それはたかがしれています。しかし、私は信じています。

 

いにしえの人の言を深く強く。

言霊の法則に基づいて天地の秩序を取り戻すことを。

やがてその輪が世界に広がり人心荒廃が止み、夢にまで見た平和な世が訪れることを。

 

続く・・・ 

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