2009.02.02  

第29話「観の眼と見の眼」

4 稽古

目付け

心構えについてばかり言いましたが、実際にはどうやって稽古をしたら良いのかをお話しします。

まず、腰を意識して生活を始めてください。注意しないと、私たちはすっかり西洋式の文化に慣れ過ぎてしまって腰が高くなっています。何につけ「腰を入れて」ということを意識します。

例えば、ご飯を食べるときも腰を入れて箸や茶碗を持つ、歩くときも腰を入れて歩く、話すときも腰を入れて言葉を発する、と言った具合にです。腰を入れるというキーワードが自然に腹に力を蓄積させます。腹に力が蓄積すると言うことは、丹田エネルギーが活性化するということです。この丹田が力を持つといよいよ「五感」が働き始めます。

さて今回は見るということがテーマですので、眼の付け方をお話ししますが、何よりもこの腰と腹をつくるということが成ってないといけないと言う事をまず知っておいて下さい。

相手を見るには、まず、イメージをもって向かい合う相手を円で囲います。人と言う存在を円の中に納めるのです。それはダヴィンチのウィトルウィウス的人間図を想像していただければけっこうです。そうして、上下、左右の真ん中に点を打ちます。その点に視点を置き、囲った円に視界を広げます。

この視点と視界を同時にみることを、「目付け」と言ってます。剱を構える際も、中心の点を押さえるようにして、この視点の箇所に剱の先を向けて構えます。すべての動きはこの円の中心の点から起ると考えます。これを「気の起こり」と言っています。

相手に「打つ」という気が起ると、次に相手の手足が動きます。剱の立ち合いであれば、剱が飛んできます。先ほどお話しした心が体を動かすという「霊主体従」の法則です。

私たちの技は、この特性を巧みに利用し、点から発生する円の旋回に注意を注ぎます。

 相手の動きを、こちらも同じく点から発生する動きでキャッチして、それをエネルギーに変換して相手に返すのです。これが武道の技の流れであり「相手の力を利用する」と言うことです。

相手が強く打てば、相手に返る力は強くなり、緩やかに打てば、緩やかな力が相手に返っていくことになります。自分がやっただけのことが自分に返ってくるという現象ですが、これを「天(あま)の返し矢」と言います。ものごとにはすべて、この因果応報の理がはたらきます。武道では、技の中でこれを学びます。

 武道の稽古が、おのれの欲のために行うことを戒め、決して自分から仕掛けず、相手の動きを待つという形態になっているのはそのためです。

基本は螺旋運動

もっと具体的に説明すれば、技の動きはすべて螺旋運動に尽きると言えます。螺旋運動から生じる遠心力と求心力こそ究極の武道の技の基本原理を示しています。そして、その秘密は呼吸にあります。

私たちは、呼吸そのものが螺旋していると考えています。吸う息、吐く息は直線的に行って戻るという断続的な繰り返しではなく、ぐるぐると回る旋回運動なのです。しかも、内から外に広がり、また外から内に戻っていくことを繰り返す永遠不滅の螺旋運動であると信じています。

この螺旋する呼吸の波に乗って、体においてはまず腰が動きます。腰が動くと腹(丹田)が練られ、五感が研ぎ澄まされてきます。この感性がますます良好の状態の中で、腰の動きは手足に伝わって全身を動かします。

物を見る眼も、この螺旋運動にのって常時変化します。一点を見つめながら、全体を同時に見るという考え方も、この呼吸に合わせた螺旋運動によって問題が解決します。

最後に心の眼を開いて

古代の人たちは、人心荒廃によって、邪気が発生し、それが天変地異をおこす原因だと信じてきました。思いの乱れが、言葉の乱れと行動の乱れを引き起こすのだと警告しています。

天地の呼吸も人の呼吸も螺旋運動がかもし出す同じリズムで動いています。そのリズムにより発生される音は、古事記の最初に記されている天の沼矛をかき回す「コオ〜ロ コオ〜ロ」と言う美しい音響に見出されます。この音の意味は「ま〜るく ま〜るく」「ゆっくり ゆっくり」です。

人との関係もギクシャクした角張ったものではなく「コオ〜ロ コオ〜ロ」と丸い緩やかな螺旋の波動を起こす関係でありたいと思います。

そのために、私たちは眼に見える世界ばかりにとらわれず、そろそろ肉眼で見えない心の世界にも観の眼をもってしっかり直視するべき時期に来たのではないかと思います。見の眼と観の眼は、武道をやるものだけの眼のつけ方ではありません。

私たち人類は目先のことばかりにとらわれず、遠い未来をしっかり見据え、心眼を働かせて、いま目前に起きている物事の真偽を明らかにし、人類が固く力を合わせて平和で明るい社会をつくっていく努力を怠ってはならないと思います。

いまこそ光が残るか闇が残るかの真剣勝負のときです。私たちは愛する子供たちのためにも決して闇に負けてはなりません。

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