2009.03.02
第30話 「私の鎮魂術」
1、どこにも偏らない心
「前でもない 後ろでもない」
「上でもない 下でもない」
「右でもない 左でもない」
「いつも私は真ん中だ」
永い稽古生活を通して私は自分の心の弱さを知っています。私の心は気を緩めると、すぐバランスを失って傾いてしまいます。ですから、私はいつもこの言葉を繰り返しています。そうすることによって、心と体のバランスを保つことを心がけています。
しかし、時にこれを忘れると、また心が均衡を失います。だから、心がけて唱えるよう努力しています。そうでないと、心の奥から偏った私がすぐ顔を出してきて私を引きずり込みます。
2、「前でもない 後ろでもない」
これはでしゃばり過ぎていないか、引っ込み過ぎていないか、ということでもあります。
魂で言えば、荒魂(勇気)が強過ぎてないか、また弱すぎてはいないか、ということ。
やるべきときにやらず、やってはならないときに、やっているということでもあります。
また、近づきすぎていないか(馴れ馴れしくし過ぎていないか)、遠のき過ぎていないか(遠慮し過ぎていないか)という、人との間のとり方でもあります。これは武道においての間のこともさします。技をしかけるときに間は命です。近過ぎたら双方が壊れ、遠過ぎたら双方とも決着がつきません。
3、「上でもない 下でもない」
これは、増長していないか、卑屈に成り過ぎていないかということ。
ちょっと褒められればいい気になり、ちょっと叱られれば、もう人生最後のような気分になってしまう。人は天国に行ったり、地獄に行ったりの忙しい毎日を過ごしています。
人は調子に乗るとろくなことはありません。年齢を重ねると痛感します。
過剰に人を持ち上げたり、人を卑下したりという、極端な態度はいけません。偉い人だからと媚びること、卑しい人だからと蔑むなどは本当に人として見苦しい行為と思います。
いつでも、淡々としていることが大切だと、この言葉で自戒をしています。
4、「右でもない 左でもない」
これは人間関係など横のつながりを指し、また考えのかたよりを指します。あの人でもない この人でもないのです。私は私です。しかし、みんなあっての私なのです。何でもプラス思考だと誇る人がありますが、それでは人間は成長しません。
プラス思考でもない マイナス思考でもないのです。いわばプラマイ思考がけっこうかと思います。なんで神様が喜怒哀楽という感情を人に与えたのかを思うことです。この感情は、料理で言えば、調味料、香辛料のようなものです。辛い、甘い、酸っぱい、苦いなどが料理のうまさを引き立てるのです。
人間という食材には時により、それに応じた味付けが必要です。それで成長するのですから。建物でも言えます。どっちへ傾いてもいけません。水平器はいつも真ん中を指していてこそ物は真っ直ぐに立っていられます。
5、すべてに通じる中心感覚
この自戒の言葉には、音の世界にも応用できます。声を出すとき、大き過ぎないか、小さ過ぎないかに注意し、周囲にとって耳障りな音声になっていないか、心のこもった声になっているかなどです。
人の話や音楽を聞く時、本質をとらえているか。相手の本当に訴えたいことを聞いているか、つまり心の声を聴いているかということです。
また、物を見るときにも言えます。
遠くを見過ぎていないか、逆に近くを見過ぎていないか。技を行うときに大切な目付けですが、相手と自分の中間の位置の空間に眼を置く事が大切です。こうすると、自分と相手が同時に見ることができます。
近いものを遠くに見、遠いものを近くに見るということが武道では教えられています。
見る・・・は、たんに物体をとらえる眼だけでは浅薄で、心を見る眼、つまり観の眼の養成が肝心です。見えないものを観る眼を養うことを疎かにしてはいけません。
以上のように、これらの言葉は、体のバランスの調整とともに、心のバランスを修正する、私にとって最高の鎮魂術であります。
『ちょっとしたことで大喜びをしたり、必要以上に嘆き悲しんだりしているようでは、神様のご用を、しっかりとつとめさせていただきにくいでしょう』
大本四代教主様のお言葉ですが、これこそ鎮魂の真髄を表している言葉です。 これでいつも思うことは、すぐに笑い、すぐに泣く人、また人前で大声を出して感情をあらわにする人。
先生に認められたと言って自慢してまわり、叱られたと言って逆恨みをする稽古人で、稽古を長続きした人を私は50年を越える武道人生でまだ一人も知りません。
私利私欲がなく淡々として道を歩む人が、最後には勝利する姿を私はいつも見ます。
6、ヒノマル
日本の神様の最高位に天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)と言う神様がいらっしゃいます。私たちが大本皇大神と唱えさせていただいている神様です。この神様の名をよく見て下さい。天のど真ん中で、主になっておられる神ということです。
これを図に示せば「○」に「・」という図になると古来より伝えられています。この図形の読み方を「ヒノマル」と言います。ヒノマルは、霊の円とも書きます。
神様は前後、上下、左右のいずれにも偏らず、常に真中に存在されているということなのです。
これを言葉に変えれば
「前でもない 後ろでもない」
「上でもない 下でもない」
「右でもない 左でもない」
「私はいつも真ん中だ」
という意味になるのです。