2009.09.21  

第35話 「神言」その2    

4、天津菅曾について

 天津菅曾は筮竹(ぜいちく)の扱いと似ています。この菅曾の握り方や扱い方、そして姿勢などは剱そのものです。天津菅曾が剱であるといわれる由縁です。以下、水谷清著「天津菅曾学」に関する著書を参考にして補足を加えながら、いかに天津菅曾が「ツルギ」と同様であるかを証明していきたいと思います。

<稽古次第>

 まず、天津菅曾は、必ず天津金木の拝座上(75声ますみの鏡)において行うのが重要な規則です。天津菅曾は、天津金木を運用するに際してなくてはならぬものであり、言霊とも一体のものであるから、75声のますみの鏡の上で行事する意義を忘れてはなりません。そして、天津菅曾の行事を執り行ってこそ天津祝詞の効力が直に出てきます。祝詞の言霊が湧き出るところに天津菅曾の妙趣があります。和良久の稽古は、ますみの鏡の示す言霊の配列順に従い、天津金木(水茎文字)の公式どおり動きます。

 <寸法>

 寸法については、実際の天津菅曾は50センチ程度のものです。しかし「天津菅曾は神霊の光明を表現するもの」ですから、本来無限の長さのものです。すなわち無限より無終に通関すべき本質のもので、短くとも無限の長さをもっていると考えて行うことが大事です。
剱は右手を上、左手を下にもち、その手の形は鎮魂の印を組んだ状態のまま行っています。そして、その決められた寸法の意識を離れ、天にかかげては遥か宇宙の彼方を指し、地に伏しては地球の中心に舞い降りていく気持ちをもって稽古をします。

 <持ち方>

 まず合掌が基本です。合掌は天地の始まりの元の言霊を表現する作法です。左手は火を、右手は水をあらわし両方そろって火水(神)を意味します。その手が天に昇り、また地に伏します。その火と水が絡み合わされ、右手が上、左手を下として鎮魂帰神の印をつくります。これ火の螺旋、水の螺旋の結合を表します。

 持ち方は、この鎮魂の手を基本に、あまり強く握るも不可。あまり弱く握るも不可。太刀を握るときと同じであると言われます。御覧のように和良久の剱もまったくこの通りです。鎮魂の印を組んだままで行う剱の技は他に類を見ないものであり、そこに和良久が単に武道のみならず祭儀としての価値を感じるところです。

 <姿勢>

 姿勢ですが、背筋を伸ばして姿勢を正、顎を引き、顔を真っ直ぐ前に向き、目は細めに開き、視線は地と平行の線上。鼻で呼吸をし、肩の力を抜いて、剱を持った時は体より遠からず近からず、ほど良い位置に保つこと。全身に力をいれず、ゆったりとしていること。

 正座をするか、椅子に座って行うか、また立って行うかの両方を行います。立ったときは両足を適度に開いて体の安定を図り上体を真っ直ぐにし、背骨を曲げぬよう注意すること。視線は高からず低からず。決して威丈高となって偉そうな格好をしないのをよい姿勢とします。

 目の付け方、力の入れ方、体の姿勢など細かなことまでも剱と同じです。既成武道は勝負を原点にその姿勢や構えなどを人為的に工夫し考案していますが、和良久は神意に従ってこの天津菅曾を行する際にとる姿勢を基本にしています。

 <動き>

 次にその動きと効果についてです。天津菅曾の活用により光が放射するといわれます。それは「降魔の利剱」といわれ悪魔を降伏させる力をもっています。そして前後上下左右に右旋左旋して動き、その全容たるや「八尋殿(イヤヒロドノ)」を描くといわれます。八尋殿とは、大神様のアマノヌホコの活動により、点を中心に「遠心力と求心力」が同時におこって出来た螺旋の世界のことです。それは内まわり、外まわりして、その旋回して交わる形状がまるで蓮の花のように美しさを保ちつつ拡大し、また凝縮する世界を表現しますので極楽浄土、または「高天原〜タカアマハラ」とも言われています。つまり、均衡なる螺旋波動の発生によって、人も場も天国のように清められ、よい気に満たされるのです。これも和良久の剱の動きそのままです。

 旋回をさせながら動く天津菅曾の動きはまるで竜神のようであり、竜神はすなわち剱であると古来より言われていますのも、このように、螺旋運動して動くからでは無いでしょうか。剱は「螺旋しながら光り輝くもの」という意味をもっています。

 <刃と棟>

 天津菅曾学は「魂と体の結合、離散の諸現象を、自在に我々の力の上に応用して行こうという学術」といわれています。剱の波は両刃といわれますが、実際には左右の働きは異なります。棟が「霊」で、刃が「体」となります。霊と体が融合した形が剱なのです。


5、和良久と言霊の法則の関連性


 さて、私たちの言う言霊の法則とは「水茎文字」「ますみの鏡」「水火の御伝」「布斗麻邇御璽」の四つを指します。この四つの不思議な図表は、いにしえの有能なる国学者も用い、出口王仁三郎聖師も言霊研究に活用されました。数ある言霊の解説に比して最も実用的であり信頼できるものであると察せられます。

 水茎文字は、天津金木で組まれた文字で瑞組木文字とも言われます(天津金木=水茎文字)。そして、それを配置するますみの鏡こそは、千座の置座です。千座の置き座は、ますみの鏡として表され、ますみの鏡は、天地人三才を映す鏡で、これは現象界そのものを映した鏡といわれています。

人は大宇宙を凝縮した存在「小宇宙」といわれますが、ますみの鏡こそ人の活動のあらゆる法則を提示したものといえます。また、水火の御伝は、布斗麻邇御璽より裂き別れたものです。つまり布斗麻邇御璽のパーツです。布斗麻邇御璽を解体すれば、水火の御伝になり、水火の御伝を組み立てれば布斗麻邇御璽になります。よって、この二つは同体と考えていいと思います。

そしてこれこそ天津菅曾、すなわち剱なのです。和良久の剱(佐々木小次郎の剱)はその形状も布斗麻邇御璽にそって出来ています。また、剱は「水水火」と書いてツルギと読み、天地の呼吸を見える形として形象化した水火の御伝と符合します。

 これは万物の水火の流れ(エネルギーの流れ)を知り、ほどよく釣り合わせる(調和させる)働きをもつツルギの特性をよく表している名です。剱は、対照するものを釣り合わせるという意味です。また、見えぬものを見える形にして現すゆえに剱(ケン〜顕)といいます。
                 
            第36話 「神言」その3につづく

 

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