2010.01.25  

第39話 「カムド」  

太古の昔、この世を統治していた神、大国常立命(オオクニトコタチノミコト)は、厳格にして犯さざる戒律のもと、一層世を安寧かつ万民和楽に導かんと日々心を砕いていた。しかし、そんな命(ミコト)の大御心をも知らず、不平不満を抱く荒ぶる神たちが集い、世の多くの神々たちをも扇動し惑わせ、あらんことか数にまかせ、命に隠退を迫った。

これはまったく、産みの親に向かって、この家から出て行けというような理不尽きわまる仕打ちであるが、多勢に無勢、命はこれも時節とあきらめ、やむなく身をひかれることとなった。 その引退された先が、だれも寄り付かぬ、暗くて冷たい丑寅の方角の片隅の地であった。

命はひたすら時の至るのを待った。

さて、命に取って代わって世を治めることとなった荒ぶる神は、命の築いたすべての教義や神殿を打ち壊し、やりたい放題の秩序なき世におとしめた。やがて人心荒廃は極みに達し、好き放題をなす諸人は獣同様の所業をなし、目に余る多くの道に反する罪を繰り返し犯した。

世は乱れに乱れた。乱れた人の気は天の気、地の気をも乱れさせた。恐るべきは、もろもろの人の気である。元凶の元は実に人が発する気なのである。

空には常に黒雲たなびき、雷鳴が鳴り轟き、嵐が吹き荒れ、豪雨が地を押し流すばかりに降った。また始終地震が大地を揺り動かし、火山が火を噴き、繁茂に天変地異が勃発した。

引退後も蔭からそっと世を守らむと心を砕いてこられた命であったが、あまりにむごい世の有様をご覧になられて、このままではこの世が泥海となり、壊滅すると察せられ、とうとう再度のご出現を決意。そして、ここに「世の立て替え立て直し」宣言をされた。

神霊が世に現れるには、自身の容れものとなる媒介が必要である。命は地上界において、出口直の体を媒介に選んだ。

「三千世界 一度に開く梅の花 うしとらのこんじんの世になりたぞよ。梅で開いて松でおさめる神国の世になりたぞよ。しゅみせん山に腰をかけ鬼門のこんじんまもるぞよ」

命は出口直の体に入ってより、手を借り口を借り、力強く立て替え立て直しを宣言された。明治25年の節分の夜のことである。これが大本の出現である。命のご出現と同時に、世に落とされた神々たちも集結され、ともども三千世界の立て替え立て直しの大神業を遂行されることとなった。

さて、鬼神(おにがみ)、祟り神と、いやしめられ、恐れられていたこの神こそ、実はこの世をお創りになった創造主「大国常立大神」であったのである。またの名を「天之御中主大神」とも唱え、古事記にも登場される一番最初に数え上げられる尊い神様である。

この神様は丑寅の方角、いわゆる鬼門の方角からお出ましされたので「うしとらのこんじん」と言われるが、宇宙(ウ)の中心軸(シ)から留め(ト)となる螺旋的活動(ラ)をなす根本の火水(神〜エネルギー)ゆえ「うしとらのこんじん」と言う。

鬼を「カミ」「カム」、また門を「ト」あるいは「ド」と言う。金神の名は、遠い昔、金星から飛来した隕石が地球上で三つに分かれ、一つは鞍馬、一つは播磨、一つは熊野に落ち、それをご神体として祭ったのに始まるとも言われる。

真中に、天之御中主大神を中心におき、周囲を円陣をもって囲み、円の各所には八つの神々がおわします。これが八力之大神である。真ん中の主神を中心に、八神が回りを囲って円周を築いている。これが「ス」の印といわれる形である。

八つの神々の周りには、なお八つの神が、そのまた周りにはまた八つの神が・・・と言う風に、八重八重に重なり重なっている神々の様子を「八百万(やほよろず)の神」という。また、天之御中主大神を軸に、無限に神々が集合して活動されるようすを「一神即多神」と言い、この御中主のお力が外に向けて(八神を通して)放射する遠心力的な力を「光明遍照の力」という。また、これを「カミド」という。カミドは、神の道ということであり、神の通り道をあらわす。

逆に、八百万の神々を通して中心の御中主に集約されることを「多神即一神」と言い、この求心力的作用を「摂取堅縛の力」という。これを単に「カムト」と言う。これは、神が止まるという意味である。そして、カミド、カムト、つまり「光明遍照の力」「摂取堅縛の力」が同時に存在する状態を「カムド」という。これを「円融無碍の力」という。

万物はこのカムドのはたらきにより、右旋して舞い上がり、左旋して舞い降りる。この右左旋による摩擦によって水火が結ばれ、無量無辺の神業の永久持続となる。これは太古のエネルギー理論である。

カムドの働きによってつくられる世界を「タカアマハラ」という。タカアマハラの意は、「タカア・ハラ」「タアマ・ハラ」「カアマ・ハラ」の三つの力で形成されている。ハラとは、螺状旋回の意味である。

タカア・ハラは、カミドの作用(光明遍照 螺旋力)がはたらき。
 タアマ・ハラは、カムトの作用(摂取堅縛 螺旋力)がはたらき。
 カアマ・ハラは、カムドの作用(円融無碍 螺旋力)がはたらく。

実に、鬼門の金神〜「うしとらのこんじん」とは高天原の存在そのものである。

これらの螺旋は内に外に永久に旋回し続け、幾何学的な放物線を描いて交叉される無限のエネルギーの躍動を現す。その互いに交差する形状は、美しいバランスのとれた蓮の花を描き出す。

仏法では、このタカアマハラの力が満る世界を「蓮華相」と言い、極楽浄土と唱える。人の腰腹(丹田)にはこのカムドの力があり、これを練ることによりタカアマハラを自覚できる。

「タカアマハラの自覚」とは螺旋波動を発生させることであり、この波動は戦いをおさめ、神人一致、万民和楽の世を招来させる。神道の技、和良久を稽古し「75剱」を練る意味はここにある。

                        つづく。

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