2010.02.22  

第41話 「佐々木小次郎の剱」

1、武蔵の後悔

舟島(巌流島)の海岸の岩陰に潜むおびただしい数のサムライたちは息をひそめて沖を眺めていた。彼らは大刀を腰にすえ、鉢巻、たすき掛けで戦支度を整え誰かを待っていた。 そして、舟が近づき一人の老人が島に上陸するのを確認すると上陸を合図にサムライたちは一斉に刀を抜いた。

その振りかぶったおびただしい刀の群れは陽光に反射し、島は一瞬、フラッシュをたいたように輝いた。次に、そのひと固まりの刀の群れは、まるでヤマアラシのように動き出し、舟を降りたばかりの小次郎に向って襲いかかった。

老人を送り届けた船頭は沖からその様子を見ていた。

たった一人で海岸に立つ老人は、その事態にあわてることもなく背に負っていた長い棒のようなものを手にした。それは琵琶で削られた木剱であった。木剱以外に老人の腰には武器らしきものは見当たらない。真剣を手に迫り来るサムライの群れに対し、70を過ぎたであろう老人は静かに空を眺めた。

やがてアリが餌を覆いつくすように、サムライ集団の群れに囲まれた老人の姿は見えなくなった。同時にとがったヤマアラシの針が消えた。天に振りかざした刀が、気合もろとも一斉に振り下ろされた。「もうだめだ…」沖の船頭は眼を覆った。

血しぶきが舞い上がり、あとには野犬に食い荒らされたような遺体が残っているのかと思いきや、サムライたちの切りかかる刀はことごとく宙に跳ね飛ばされ、サムライたちも砂浜にひっくり返っている。

船頭は奇妙な光景を目にする。尻もちをついたサムライたちに怪我はなく、再び刀を手にして襲いかかる。襲いかかってはまた跳ね飛ばされている。そんな不思議な光景が展開されていたのだ。

倒れるサムライたちの中央に老人の姿が見えた。

老人は竜巻のように木剱を旋回させ、武士たちを刀もろとも回転力で跳ね飛ばしている。
その有様は竜巻の如くであった。船頭は思った。ああ、これぞ、あの噂に聞いた神技「ツバメ返し」かと。

船頭は神風が吹いているように見えた。サムライたちはまるで風に舞う木の葉のようであった。間もなくその神風は止んだ。老人は圧倒的な威力の状態にも関わらず、突然、剱を天に突き立てた。「天剱」と言われる鎮魂の姿勢に入ったのだ。これは神と一体となるときの型である。その姿勢のまま老人は小声で何事かを天に向かってささやき始めた。

何が起こったのか・・・一瞬、サムライたちは戸惑った。

老人は天を仰いで何事か語りかけた。次に老人はチラリと岩陰に隠れていたもう一人の屈強そうなサムライに目を注いだ。その老人の顔には笑みがこぼれていた。

刹那、我にかえったサムライたちは「隙あり」とばかりに雄たけびをあげて一斉に切りかかった。老人は天剱の姿勢のまま、身動きもせず数知れぬ刃を受けた。島の海岸に老人の血しぶきが舞った。

岩陰で一部始終を見ていたサムライの名は武蔵という。武蔵はまるで石地蔵にでもなったかのように瞬き一つせず動かなかった。いや動けなかった。そのあまりに凄絶な老剣士の最後の姿が眩しかった。気高かった。武蔵は一条の光を見たような気がしたのだ。

このとき無信仰の武蔵は初めて神を見た。そして「われ、あやまてり・・・」とひとこと残し、刀を捨てて武蔵はその場を立ち去った。後悔をしないことが信条の武蔵がはじめて後悔をした。

この老人こそ佐々木小次郎である。

2、和良久の剱として復活

なぜ、小次郎は暗殺されなければならなかったのか?
なぜ、武蔵は小次郎と戦わなかったのか?
なぜ、御前試合という大試合があのような人の寄り付かない辺鄙な児島で行われたのか?なぜ、小次郎は刀を用いなかったのか?

謎は深まる。

すべての答えは巌流島で小次郎が手にしていた琵琶の木で出来た長さ4尺の木剱にあった。

その後、どこをどう旅してきたのか、このときの木剱は時空を超えて、大本にやってきた。いま、その剱は和良久の剱として息を吹き返し、私たちの手にある。私たちは巌流島で暗殺された佐々木小次郎の剱を使っているのだ。

非業の死を遂げた、いわば呪われた剱ともいうべきだが、この剱、決してそういった妖刀村正のような代物にあらず。それは、使っている私たちが一番よく知っている。

振れば振るほど気持ちが落ち着き、幸せになる。小次郎の剱はまるで打ち出の小槌のようである。

ツルギは天と地とを釣り合わせる祭りの神器。人と人とを釣り合わせる和合の道具。
「人を傷つけず 人に傷つけられず 人も良く われも良し」が剱の精神である。

3、復活の場を大本に

巌流島を境にツルギは小次郎とともに封印された。奇しくも同じ関門海峡において安徳天皇が三種の神器のツルギとともに海中に没したように。

なぜか歴史の中には封印されたものが多い。伏されたものは例外なく皆、悪人呼ばわりされている共通点をもって。たとえば「ウシトラノコンジン」と恐ろしい名をつけられた神。実はこの世をこしらえた尊い創造神「オオクニトコタチノオオカミ」様であった。

また、荒ぶる神、祟り神と恐れられた「スサノオノミコト」。実は心やさしく、忠義のあつい救世神であった。大本は、そんな日本に伝えられる太古の封印を解き、封じ込められた神霊をあの世からこの世にあらわす媒介となるために現れたと言ってもよい。

ウシトラノコンジンこと、オオクニトコタチノオオカミは、大本開祖出口直の体を媒体に再びこの世に登場された。スサノオノミコトは、オオクニトコタチノオオカミの神業を補佐するために、出口王仁三郎聖師の体を媒体に登場された。

4、大本の武道家たち

出口王仁三郎は柔術の植芝盛平を使い合気道を世に出した。次に井上鑑昭をつかい親英体道を創始させた。ともに出口聖師は古今未曾有の巨大組織、大日本武道宣揚会を発足させ、大々的に神の武、アマノヌホコの威力を顕現させた。(戦中最大の宗教弾圧「大本事件」でこの会もなくなる)その後、合気道は出口聖師の後押しがあって日本中に、また海外に急速な広がりをみせた。ちなみに植芝、井上両先生は柔術系武道(つかみ技主体)の出身である。

次に、大本三代教主出口直日さまは日本空手道界の猛者、奥山忠男を見出す。大本において活動のステージを与えられた奥山忠男は既成武道である空手を捨て、この小次郎の木剱の入手をきっかけに剱の探求に入られた。この時期に大本入りした前田は奥山忠男の剱復活のプロジェクトに加わった。不肖、当時の私は、実戦空手を標榜し最強といわれた巨大空手流派の師範であった。

三代教主様ご昇天後、はからずも先代の大本武道家たち同様に、私も四代教主様の庇護を受け武道の練磨に励み、やがて和良久の名を賜り活動を開始した。ちなみに、奥山、前田の二名いずれも打撃系武道の出身である。こうして、武道は大本開教以来、大本神業に影のごとく寄り添うものとなる。共通点は、これら大本の武道家たち、いずれも世間において一流の武道家と讃えられたにも関わらず、大本に入って以来私心を捨て、教主の教えを順守し、神の理想郷実現のためにのみ技を練磨することになることである。キーワードは「人類和合」である。そして非戦闘。

植芝、井上の両氏は和歌山。奥山、前田の両名は愛媛の八幡浜に縁がある。九鬼水軍、八大竜王に縁が深い。

私の空手の師、芦原英幸は八幡浜に道場をかまえ、私は内弟子となって鍛えられた。素手は芦原英幸、剱は奥山忠男に叩き込まれた。素手と剱・・・まったく相反するように思われるが、どちらも螺旋運動の技をもっていた。これはむしろ、同じ技といってもよいのではないかとさえ思える。

私事ながら私にとって空手時代最後の場面が、正道会館主催の第一回全日本選手権大会であった。この試合、武蔵と小次郎の戦いだと言われた。そういえば、今となってみればなにかの型のようである。大会前に襲った著しい心境の変化と葛藤は、いまになって初めて理解ができる。

5、小次郎からのメッセージ

小次郎の剱を使っていると、小次郎の意志が剱を通して伝わってくる。何を思い、何を考え、何を夢見てきたのか。それが見えた今、私たちの行うことに迷いはない。

片方を無くすという刀の精神。何をしても勝てばいいという武蔵型の社会を終わらせよう。神と人、天と地、あなたとわたし、心と体という、相反する二つがつりあったツルギの精神。ともに手を取って平和な世界を築く小次郎型の社会を目指そう・・・そんな声が聞こえてくる。

 「私があなたを立てたのはこのことのためである。すなわちあなたによって私の力を現し、また私の名が全世界に言い広められるためである」 新約聖書

                       つづく。

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