2010.08.09
「思う」ということから、すべては始まる。
スの形は、真中に点(火地〜ホチ)があって、周りに円陣が描かれている。これは思いがあって、物質が結集することを表している。良きことを思えば、良き形が造られ、悪しきことを思えば、悪しき形が造られる。楽しいことを思い描けば、楽しいことばかりが周囲に現れる。
人の噂や、テレビなどの事件報道などを見て「あんな風になったらどうしよう」などと、ありもしないことに余計な心配をして、気持ちをマイナスにばかりに置いておくと、やがて、案じたことが形となって現れる。
思うことは、あることである。「人生は思ったようにしかならない」ということを言霊の法則は教えてくれている。「そんなことはない、人生は思うようにならないものなのだ、思うようにならないのが人生だ」と、諸氏からお叱りを受けそうであるが、本当にそうなのだろうか?
「それが証拠に、私なんかあのようになりたいと思ってきたのに、こうなってしまった。やっぱり、これが人生なのだ」と言うあなたは、本当に「あのようになりたい」と思ってきたのだろうか?よく思い直していただきたい。周りから「あなたには無理だ」「高望みをするなと」と言われ、また自分でも心の底で「そんな風にうまくいくわけがないじゃないか」と心の底では思っていたのではないだろうか。
大事なのは、その「思い」が、フトマニノミタマ(言霊を表す図)のように、スーウの形のごとく真ん中にまで達していなければ意味がない。心は、玉葱の皮のように、幾重にも重なっている。表面層の心ではなく、その奥の、その又奥の、もっともっと奥にある芯にまで「思い」が達していないと芽は出ないのだ。いわゆる深層心理まで届いてこそ、初めて、思いが物質化するという現象が起こるのだ。
その幾重にも重なった心の奥へ、奥へと思いを送り込むことが、疑い深いわれわれにとっては結構大変・・・ということになるらしい。だから、願うことがあるなら、いつも、いつでも思いを言葉に変えて、自分の心に常に語りかけることが大切なのだ。思いを言葉にしてエネルギーを引き寄せ物質化させる・・・これが言霊だ。
『わたしが来る時まで、自分のもっているものを堅く保っていなさい。勝利を得る者、わたしのわざを最後まで持ち続ける者には、諸国民を支配する権利を授ける』『わたしは、すぐに来る。あなたの冠がだれにも奪われないように、自分のもっているものを堅く守っていなさい。勝利を得る者を、わたしの神の聖所における柱にしよう』これはヨハネの黙示録に記された一節である。
ヨハネは、よく宗教家などに引き合いを出される有名な言葉「はじめに言葉があった。言葉は神とともにあった」という一節ではじまるヨハネの福音書を記した方で、彼は言霊のことを大事に思っていることをしのばせる。上の言葉は、思いを捨てないで最後まで持ち続けた者だけが、神の栄光(思いの実現)を見ることを約束されている、ということを教えてくれている。
物質世界に生まれた私たちは、元来が疑い深いようにつくられている。物質主義、これは、肉体保存、生命維持のためには仕方のないことなのである。だからこそ、この世で生きることは心の鍛錬になるのだ。
神は自分に似せて私たちをつくった。これは神の最高のアイデアであった。私たち人類の言葉は、神の言葉、すなわち言霊である。神は、私たちがこの世で暮らせるのに満ち足り、有り余るほどのものを与えて、この世に私たちを下された。願ったものを受け取る権利と、それを受け取る術のすべてを、すでに神は私たちはお与えになっているのだ。
思いが形になる。そして「思念〜霊」と「物質〜体」とをつなぐのが「言葉」であり、それがつながったとき言葉は本物の言霊となる。
神道の祝詞や仏教の経文などが、霊界と現界をつなぐ言霊といわれるゆえんはここにある。神仏を褒めたたえ、死者たちを慰めるのもこの言霊である。
未来と過去の挟間に生きるわれわれは、いまこそ言霊の助けを借りて、輝くような素晴らしい未来をつくり、過ぎた過去も栄光のメモリーとなすことを宣言するべきだ。今が変われば未来も過去も変わる。すべてが変わるのである。今という現在が「点」とすれば、未来も過去も「円周」となる。その点が「ス」である。ス声という点が発せられれば、75声という「円」が築かれる。
私は、八力の型をおこなうとき、意識して思いを抱くようにしている。「ス」という声を出しながら動いたとき、その発声と手の動きで「スの言霊のよき力が集まってくる」と考える。同様にウアオエイ、それぞれに言霊の力が自分のまわりに集約されると考える。
無限のエネルギーは大気中(宇宙)にある。そのエネルギーを呼び集めるものが言霊である。言霊を発声し、空気中に集まってきた「コエノコ(神霊原子)」を手でかき集めるような気もちである。この型は「幸せを呼ぶ型だ」と信じて行うことで、本当に嬉しくなる。また、八剱の型も「この木剱は、打てば打つほど、夢が叶い、幸せになる」という『打ち出の小槌』と思って振っている。
八力の型で言霊の幸せの力を貯え、八剱の型で言霊の幸せの力を解き放つ。何と言われようが、ものは考えようだ。こう考えることによって、心に「思いは形となって現れる」ということを学習させるのも一考ではないだろうか。「そう思うことにとって、そうなる」ことを実感してみよう。一年後、そう思ってやった者と、何も思わずにやった者との差は、きっと歴然であるとをあなたは確認するだろう。
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第48話 「歳をとる有り難さ」につづく