2011.07.04     

第61話 「宇宙の彼方から」

私の祖父麗蔵(れいぞう)はもともと播州の出ですが、福知山に出て落ち着きました。 そのせいか、父左馬之助は兵庫の山々を愛し、よく休日に出かけては登山をしていました。そして、とうとう六甲山で登山中に最後を迎えました。享年69歳でした。

「福知山出て 長田野越えて 駒を速めて 亀山(亀岡のこと)へ」
この福知山音頭につられたわけではありませんが、不肖私はご縁をいただいて現在住まいする亀岡にやってきました。子供のころ、父はよく私を山に連れて行きました。記憶にありますのは、金剛山、葛城山など主に奈良の山々です。そんな父の影響もあってか、私も近頃山に足が向くようになりました。過日も、兵庫の加古川に行き高御位山(たかみくらやま)に登りました。この山にまつわるこんな伝説があります。

650万年前の昔、金星から飛来した隕石が空中で三つに分かれ、紀州の熊野、京都の鞍馬山、播州の高御位山に落ちました。山頂の高御位神社のご神体はその金星から降ってきた石の一つだと言われています。江戸時代、熊野水軍を率いた九鬼(クカミ)一族は、この霊石「鬼門霊石」をご神体とし、そのご神名を「うしとらのこんじん」として厚く崇めていました。

山頂の高御位神社からの眺めは素晴らしく、瀬戸内海の島々を一望できます。「ひつじさるのこんじん」のおわします「神島」なども対岸にあり、その深いつながりを感じます。出口王仁三郎聖師著の霊界物語にはご自身が修業された高熊山についてこう書かれています。

「高熊山は上古は高御座山(たかみくらやま)と称し、のちに高座といい、ついで高倉と書し、ついに転訛して高熊山となったのである」

また出口王仁三郎聖師は、本名が喜三郎で「喜」の字を鬼(カミの意味)の当て、オニサブロウとし、それに王仁の字を当てられました。これを見ても九鬼との深いつながりを感じられずにはおられません。

九鬼は、天照大神、豊受姫神、素戔嗚神、磐裂神、月夜見神、大国主神、埴安姫神、根裂神の鬼門八神と言われる八つの神々と、それらの神々を統率する中心の神「天御中主大神」(その裏の神を国常立大神という)を合わせた九つの神の総称です。

この天御中主大神を円陣をもって囲う八つの神々は「カミド(神戸、神門)」といい、八つの通り道とされています。この八つの神の戸を通って中央の根幹となる天御中主大神に集まり、また中央から外へ働きかけていきます。鬼門、つまり神の門の真ん中にある根幹である神、天御中主大神(国常立大神)を鬼門の根神(きもんのこんじん)と言います。

根神は金星から飛来した霊石をご神体とするため「金神」とも書きます。江戸時代に綾部を治めていた藩主が九鬼氏であり、鬼門霊石も綾部城内の神社に祀られていました。その因縁も手伝って大本の出現につながったのでしょう。

さて、かの宮本武蔵は播州高砂の出身であり、隕石の落ちた高御位山の並びにある桶据山において天狗に剣術を学んだといわれます。同じく隕石の落ちた鞍馬では遮那王こと、義経が天狗に剣を学びました。しかも義経の家来に武蔵坊弁慶という、武蔵の名がつくのも面白いことです。

もうひとつ隕石の落ちた熊野には武勇を誇る九鬼水軍がありました。金星から落ちた隕石のあるところ、不思議と桁外れの力をもつ剱の使い手が現れるのは一体どういうことでしょう。また、もうひとつ妙なことは、瀬戸内海、関門海峡にも、これらのもののふが集結していることです。壇ノ浦で義経が、巌流島では武蔵と小次郎が、そしてこの海域一帯には九鬼水軍が。

また関門海峡近くの福岡県にある霊山、英彦山(ひこさん)は佐々木小次郎の出生地、岩石城(がんじゃくじょう)があります。巌流島の名の由来となった巌流は、小次郎の雅号であり流儀の名ですが、この岩石城の名が元になっています。

さて、今春よりこの福岡で和良久の稽古が始まりました。これは、いわば木剱の里帰りといえましょう。熊本は武蔵が最後の里、福岡は小次郎が出生の里。この両雄の縁ある地に和良久があるのも面白いことです。しかも、熊本は細川家が治めた地。いま私がお世話になっています大本の聖地である亀岡城址は、明智光秀の居城。この光秀の三女たまが細川忠興の正室となっています。亀岡と熊本とは深い因縁があります。また福岡岩石城の小次郎の木剱が亀岡に来ていますことも縁を感ぜずにはおれません。

こういった様々な神秘がつながって和良久があります。何かに突き動かされているようで、本当に身の引き締まる思いがいたします。以前は宮本武蔵を宿敵のように思っていた私でした。しかし、いまはそのような気持がまったくおきません。むしろ、なにもかもが鬼門の金神様の仕組みの中にあるようで、小次郎同様、武蔵もいまの和良久を生み出した恩ある者の一人であるように思えるのです。

和良久独自の理論と技術は世界中のどこにも存在しません。これだけ広い世界で、これだけ多くの人類がいるのですから、どこかで誰かが似たようなことをやってそうなものですが、それがいまだ見当たりません。宇宙の彼方からきた技だからでしょうか。その技の動き、すべてが螺旋となって星の運行を表しています。これは驚くべきことだとあらためて思います。
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