2012.05.28
第78話 「宇宙即吾 吾即宇宙」
螺旋の技(言霊の技)の特徴は、相手の動きや、力の大きさを選ばない自主性の強さにある。
相手がどのような打ち方で打ってきても、螺旋の動きはずべて相手の剱を組み絡ませ、力を吸収し、また分散させる。
螺旋の技を使う者にとって、相手がどのように動くのかはほとんど関係ない。
自分が何をしたいかにかかわる。
例えば「ア」であるとか「ヂ」であるとか、使いたい言霊を選択するのみである。
一旦スタートさせた螺旋のエネルギーはそれをすべて放出するまでは消えない。
「モ」の剱であれば「分分静合」であるが、最後の「合」を打つまではモのエネルギーを途中で止めることはできない。
これは言霊の法則である。
一度口に出しした言葉の霊力は目的を果たすまで消滅しない。
しかし、言霊には「のり直し」が認められている。誤って使った良くない言霊のエネルギーを、別の言霊をもってエネルギーの方向を変えることである。
言霊は宇宙の根本的エネルギーである。
ゆえに言霊には「良い」も「悪い」もない。ただ言霊を使う人が、このエネルギーを良くも悪くもするというだけなのである。
さて、組稽古において、相手の打ち方に眼をやって、その剱の軌道を追いかけて眼をキョロキョロとさせて組もうとする方がいるが、これは極めてよくない。
眼は一点に置き、視界を十分に広げることが肝要である。
見る点は、ただ一つ。相手の気の起こりである。打とうとする水火を読むのである。
剱を観るのではない。水火を観るのである。
こちらに向かって発したエネルギーの流れを察知することである。
それが螺旋のスタートとなる。「・」が判れば「○」を描けるのだ。
私たちの技は、すべてを飲み込む宇宙の技であることを忘れてはならない。
相手が何を打ってきても「放っておいて」、気持ちをしっかり持って腰をすえ、ただひたすら綺麗な螺旋を描くことが大切である。
そのリズムは「シホコオロコオロ」。
ゆっくりと、落ち着いて、宇宙のリズムと同調する。
相手があわてても関係はない。
相手が強く出ても関係ない。
私たちは、言霊のリズムを崩すことなく「シホコオロコオロ」と螺旋運動を描くだけのことである。
どうやって組むのかも考える必要なし。相手の剱がこちらの身に届けば、剱が自動的に絡む。
そして、その絡みから生ずる自力と他力の融合により発生するエネルギーを「放出〜打ちかえし」に変換させるのだ。
言霊の技は宇宙の営みそのものである。
この宇宙の力を破る力は存在しない。私たちが心を落ち着けて、穏やかにして螺旋を描き続ける限り、私たちは宇宙そのものであり、絶対安全なのである。
しかし、もしこの螺旋のリズムを止めたり、鋭角に動きだしたりしたときは自己崩壊するだけのことである。
「宇宙即吾 吾即宇宙」は、言霊の技を忠実に再現する者だけが到達できる境地である。