2012.11.19     

                 第86話 「雑巾の礼」

 稽古では、まず御神前に礼拝をさせていただきますが、その前に私たちは、神様に向かう心と姿を改める「身支度」を行います。

 まず、円陣を組み、顔を見合わせ、一礼いたします。これは同じ志をもつ稽古人に対して、喜びをともなう再会の礼です。

 次に、木剱に向かい礼をします。これは木剱に対する敬愛の礼です。そして、懐中から布巾を取り出し、木剱を清めさせていただきます。木剱のお清めが終わりますと、体の各部分を両手でなぞり、頭髪や衣服の乱れ、体のゆがみ、そして気持ちの乱れを整えていきます。

 このように、木剱の清めと、略儀ながら心と体の潔斎が終わりましたら、もう一度、全員で礼をし、皆さんとともに神様の前に整列し、神様に感謝と祈願の礼をさせていただきます。

 稽古中におきましても、何度も稽古相手に対して、技の狭間に礼をいたします。

 私たちは、神様への礼、人への礼、道具への礼など、さまざまな学びの対象に向き合って、何度も何度も心からの礼をいたします。

 そして、稽古が終わり、最初と同じように心と身を正め、神前に向かい礼をして、稽古を終えます。

 しかし、私たちが、一番最後に礼をするのは汚れた「雑巾」です。

 和良久の稽古は、最後の神前礼拝が終わり、稽古人どうしの礼が終わりますと、懐中から雑巾を取り出し、稽古場の拭き掃除をさせていただきます。

 和良久では、この拭き掃除は、重要な「清めの型」と考えています。

 稽古道場は、この世を写す現象世界そのものであり、地球の雛型と考えています。また、道場とは、天津金木を置き足らわす「千座の置座(ちくらのおきくら)」です。

 この聖なる場所を、雑巾をもって地球上の汚れを清めるがごとく、丁寧に拭かせていただくのです。まるで地上を見下ろすばかりの巨人になったつもりで、この地球という星に向かい合います。

 陸地にこびりついた汚れ、海に流れ込んだ汚染物、大気を濁らせるガス、そして人々に付着するあまたの罪穢れ。これらを、雑巾を両手で押さえ、両足を走らせて、全身でしっかり拭かせていただきます。力強い拭き掃除が終わりますと、次に、右手で縦向きに横向きに。そして、左手で縦向きに横向きに、細かい動きをもって仕上げます。

 自分自身も、この世界を汚している一人なのだという罪業を背負い、心からの謝罪の気持ちと、この世界に生かせていただいていることの感謝を思いながら、拭き掃除をいたします。

 最後に、雑巾をきれいにたたんで目前に置き、その汚れた「雑巾」に向かってしっかり両手をついて頭を下げ、感謝の「礼」をいたします。

 わが身を汚して他を光らせる御役・・・これが武神スサノオノミコト様の御役です。

 そのミコトの姿を思い、ミコトの生きざまを学ぶことが私たち稽古人の姿だと存じます。

 偉いから頭を下げる。

 綺麗だから頭をさげる。

 本当に偉いとはなにか。

 本当の美しさとはなにか。

 私たち稽古人は、人を見かけの肩書や着飾りで判断することなきよう、天津宮言もて心の眼を開かせるよう鍛錬を積まねばならないと思います。

 人の讃美することは誰でもやります。

 日のあたるところは誰でもいきたがります。

 人が褒めぬこと、また、日の当らない場所。そういった、陰陽のうちの「陰」に位置するところに溜まる、さまざまなものを「千座の置戸(ちくらのおきど)」と言います。

 置戸の「ド」は、土、奴などで、末端の場所を意味します。

 祝詞に出てきます「タチハナノオド」で、ハナは顔でいえば鼻で先端を、オドは体でいえばお尻で末尾を指します。お尻のことを「おいど」などというがごとくです。

 曾富戸(そほど)の神、またの御名は、久延毘古(くへびこ)の神と言われる神で、天香香背男(あめのかかせお)という神がおられます。この神は「天勝国勝奇魂(あまかつくにかつくしみたま)」と讃えられるほど知力に秀でた神です。(天勝国勝奇魂〜天のことに勝れ、地のことにも勝れ、この世のことについて何も知らぬことはないという、驚くべき知恵の持ち主のこと)

 また、古事記に・・・

 「久延毘古は、今に山田の曾富戸と言う者なり。この神は足は行かねども、ことごとに天下の事を知れる神なり」と記されています。

 曾富戸とは、案山子のことです。案山子は香香背を蔑称し、見下した言葉です。

 また、久延毘古の「くへ」とは、崩れた、垢にまみれた男(彦)と言う意味です。

 足は行かねども・・・とあるように、障害をもち歩けないという不自由な身でありながら、すべてのことを熟知した神であったのです。

 そのように素晴らしい神にも関わらず、そのお姿は容貌が崩れてみすぼらしいゆえ、他神たちから妬みも手伝って、卑下され馬鹿にされます。

 そんなことを思い、私たちは稽古の最後に雑巾に向かって、心から頭をさげます。

 そして、考えます。

 本当に尊いこととは何なのかを。

 


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