2013.02.04

                 第91話 「天津金木学 1」
  1. 日本の三大皇学とは、天津金木学・天津菅曾学・天津祝詞学の三つをいう。

  2. 天津金木学は、一名日本神相学ともいい、外形をもってその内実を究める学術である。

  3. 天津金木学は、作法厳守が本位であり、礼儀節度を心得ぬ輩はこの学びの道に入ることはならない。

  4. 神道の作法は、礼拝、祝詞、祈祷の三つで、天津金木は礼拝に当たる。

  5. 天津金木は、実地に行うことにより学ぶものであって理論上のものにあらず。

  6. われわれが平素使用している文字は人造物である。まことの神の道は文字のうえにあらず。

  7. 天地の心象を直接に読むことが肝要である。それは天地万有一切の光にある意義を読むことである。それを読み取るのが天津金木である。

  8. 天津金木学はフトマニともいう。

  9. 三大皇学は、世界文化の統一的使命を負っているものであるから、知識を世界に求めて研鑽する覚悟が大事である。

  10. 天津金木の神秘は、絶対的体験をもって得るものである。

  11. 天津金木は、意識を物質世界から純粋なる内なる世界に心を転じ、内在する純粋直観の領域に入り込み、すべてのものを純粋意識に還元するために行う「マコト」である。

  12. 天津金木は、現実世界から純粋な心の世界に移るための媒介物であり乗り物である。

  13. 天津金木学は、「成る」を知ることである。万物の姿、形の根源の探究である。

  14. 天津金木学は、万物の真の姿をわが心身に写してその形に成りきることを目標とするものである。それは内在する世界にいながら、当然にして必然の記録を永遠に伸び広げていく修行である。

  15. われわれは天津金木の運用をもって、一度はこの現実世界から光に満ちた喜びの往生をとげ、本質内在の純粋世界に生まれるのである。生まれ変わるには一度死す覚悟が肝要なり。ここでいう死は執着心との離別をいう。

  16. 純粋世界に還ってからは、身は再び九界(地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天上、声聞、縁覚、菩薩)生死の現実世界に身を置き、十方法界の国土をあまねくめぐるとも、心が純粋世界にあるうえは、たとえ身に泥をかぶるとも汚れず、嘲笑の声は響くとも聞こえない。泥中に美しく咲く蓮の花のごとし身となる。

  17. 心の奥底に純粋世界の心を鎮ませ、常に内から外へほとばしる前向きな気もちをもち、外から内へすべてを受け入れる寛容さをもつことにより、無限慈悲の大光明を発する。

  18. 無限慈悲の光明力をもってあまねく一切を導き入れるという任務を成就させるために天津金木の修業を志すべきである。

  19. 天津金木学は、耳で聞いたり目で見たりというだけの浅い体験から離別の道を示し、真理の光を立証して純粋なる直観の世界へ誘ってくれる。

  20. 天津金木は、金木を通して純粋世界の構造を分化して、種々の無限なる事象を極めて簡素な形として発現せしめる。

  21. この無限の事象をみることは、神と人が一体であることを知る脚本であると同時に、われらが独創の記録でもあり、永遠の創造でもある。

  22. 天津金木を学ぶ者は、現実世界に起きている一切の理不尽とも思える現象からも決して目をそむけず、むしろそれと対峙して包容し、完成に至らしめる覚悟をもたねばならない。


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