第107話「神への直訴 (1)」2013.10.21
昨日、横浜のメキキの会でお話をさせていただきました。(注:2012.3.31)
講演に先立って、ご聴講いただく皆様に次のようなメールを送りました。
『こんにちは。
明日、横浜の会でお話をさせていただく前田比良聖でございます。
かような高い舞台にあがる機会を与えてくださった出口光会長と、メキキの会の皆様の寛大な心に深く感謝を申し上げます。
私は社会的に成功したというわけでもなんでもありません。
私は、いまだ自分の道場ひとつ持てず、人ひとりさえ雇えることの出来ない甲斐性のない人間です。ですので、当然のことながら、皆様に成功へのノウハウなどはお話しできません。
なにせ私は幼いときから武道という偏狭な世界で生きてきました。周りへの迷惑をもかえりみず、ただ好きなことだけをやってきたというだけの、とても身勝手な人間です。
また、白状いたしますが、寺子屋塾や和良久の稽古で神様のことや言霊について偉そうに言っていますが、実は私はいまだ神様のことがよくわかりません。これは、年々、時々刻々、時が経つにつれ、ますますわかりません。
この年齢になりますと、周辺で起こる例えようのない理不尽な事件や、志し半ばに命果てた者らに遭遇することも多くなります。
それらに接するたびに、もっていきようのない憤りに震え、神に向かって「なぜあなたは黙っているのか」と八つ当たりすることしばしです。
このように、私はだれよりも疑い深く、素直でない信仰の希薄な人間です。だからよけいに真実が知りたくて、知りたくてならないのです。この世に神がいてほしいのです。
しかもそれは沈黙を守り続ける神ではなく、私のような無知な人間にでも納得できる形で登場してくれる神です。
武道は元来神に近づく方法として伝承されてきました。
私が人生で武道というジャンルを選択し、今日まで稽古を続けてきましたのも、武道を通してこのテーマの答えを見出したかったからにほかなりません。
こんな私です。明日は何とぞご容赦いただきますよう、よろしくお願いいたします。
前田比良聖』
ここしばらく、私自身に、そして私の身辺に理解しがたい事件が種種ありました。
私はこのことにつきまして、また人類発生より、いまだ、この世界に繰り広げられる悲惨な状況につきまして、その本当の意味を知りたくて、祈りとともに深く思案いたしました。
そして、次のように、思案に対する一通りの答えは出ました。
大難が小難になった。
前世からの因縁。
因果応報。
神様への信仰の不足。
執着、マイナス思考。
よりよき方向へ導いてくださる神のご慈悲。
感謝の足りなさ。
神の試練。
よりよくなるための前兆。
祭りごとを怠った報い。
先祖供養の足りなさ。
・・・その他、自分自身が以前、人から悩みの相談を受けた時に答えた内容や心理的、哲学的見地からの見解など、おおよそ、他人に対しても自分が答えるであろう、また宗教者や学者が答えるであろう、思いつくあらゆる答えをはじき出しました。
それでも、目を開けて現実を見るとどうも納得しかねるのです。
頭では理解しますが、どうも腑に落ちません。
理不尽なことの起こるこの世界のあり様はなんなのだと、憤りを覚えてなりません。
どのような偉い人が現れて「それはこうこうだ」と私に説いても、「私はあなたの言うことはそれを言う前から知っている」と言うしかありません。
私は万の理屈ではなく、たった一つの真実を知りたいのです。
かくなるうえは、いにしえの志ある者たちが残した最奥の手段をもって神に問うしかないと思いました。そして、一命をかけてまとめたのが和良久でした。
稽古・・・私にとって、これは神への直訴です。
昨日はそんな気持ちを吐露させていただきました。
昔、天津宮言(言霊の法則)をもって世界を救おうとした三人の方たちがいました。
以下のごとくです。
「大石凝真素美(出口王仁三郎の言霊学の師)の家に次のような言い伝えがありました。
『この世界は悪神がはびこって人心が荒廃し、世が乱れ、大いなる災害が勃発する。そして人類の9割が滅亡する。これを救うには、天津金木・天津菅曾・天津祝詞という神秘の三つの鍵(総称して天津宮言という)をもって神界の扉を開き、太古に封じ込められた正神に登場していただくほかない』
大石凝師は、山本秀道、太玉太観ら、霊術に秀でた者ら三人とともに、ようやくにして三つの鍵を手に入れ、いよいよ人類救済のために決死の覚悟で立ち上がります。
三つの鍵をもっての神事執行間もなく、斎場は室内にもかかわらず雷鳴とどろき、暴風吹きすさび、悪神の笑い声が不気味に響き渡ります。そして、三人の体が宙に浮かんで壁に叩きつけられる、などの奇怪な現象が起りました。
とうとう、この凄まじい悪神の攻撃に耐えかね、神事は中断の止む無きに至りました。
大石凝師は「われはその器ではなかった」と悔い、この技を王仁三郎師に授け、後を託します。
そして、王仁三郎師は、大本開祖とともに、太古の正神うしとらのこんじんの封印を解きます。しかし、悪神の妨害甚だしく、宗教史上例のない大弾圧を受けることになりました。
出口聖師は「わしは型をしただけ、本物は後から現れる」と言われ、大石凝師同様、やはり後世に託します。
上記に関連していますが、釈迦は入滅に際して次の言葉を残しました。
やはり人類滅亡を回避するお話です。
「千年後、この世界から善は消え、容赦のない天変地異がおこる。また、三つの悪しき者らが現れて人々を虐殺し、真の教えを迫害する。天地は振動し、大きな星が落下し、四方に炎がたって十方の諸天は号泣する。
しかし、最終最後のときに天地を動かし、支配する輪宝(天津金木)をもった転輪聖王をともなって弥勒菩薩が現れ、輪廻の輪を断って、弥勒の世が到来する」
また、聖書ヨハネの黙示録にも同じような内容が見られます。
「第六の者が、その鉢を大ユウフラテ川に傾けた。すると、その水は、日の出る方から来る王たちに対し、道を備えるために枯れてしまった。
また見ると、龍の口から、獣の口から、偽預言者の口から、蛙のような三つの汚れた霊が出てきた。
これらは、しるしを行う悪霊の霊であって、全世界の王たちのところに行き、彼らを招集したが、それは全能なる神の大いなる日に戦いをするためであった。
三つの霊は、へブル語でハルマゲドンというところに、王たちを招集した」
「また、わたしが見ていると、ひとりの御使が、底知れぬところの鍵と大きな鎖とを手に持って、天から降りてきた。
彼は、悪魔でありサタンである龍、すなわち、かの年を経たへびを捕えて千年の間つなぎおき、そして、底知れぬところに投げ込み、入口を閉じて、その上に封印し、千年の期間が終わるまで、諸国民を惑わすことがないようにしておいた」
さて、私たちの国の神道を代表する祝詞に大祓祝詞(神言)というものがあります。
これは長文で、非常に難解そうですが、その内容はいたってシンプルです。
祝詞は前半、中盤、後半の三つで構成されています。
私は、志ある人たちに、この三つの鍵を万倍にも増やして渡し、言霊神軍を整えて一斉に天の戸を開く神事を挙行したいと思うのです。
微力な私たちですが、力を合わせれば大きなウエーブが起るはずです。
「正神にご登場いただき悪神を倒す」
これが和良久の目論むことです。
また、この三つの鍵は私自身の「神への直訴」でもあります。