2013.12.17 

              第111話「原始の祈り」

 和良久は、アマノヌホコの力を探る勉強をするところです。

 アマノヌホコとは、神が創りたもうた宇宙の創造史です。

 言霊を学ぶには、まず、このアマノヌホコのことを知らなければ話は始りません。

 まず、古事記の最初の文はこういう文です。

 「天地初發之時、於高天原成b名、天之御中主b」

 高天原に「成りませる」とあります。

 ここで、成るという言葉が出てきます。また、これに続き「なる」という言葉が連続して出てきます。その「なる」は、おもに「成る、生る、鳴る」の三つに大別できます。

 これこそ、天津金木の「成る」、天津菅曾の「生る」、天津祝詞の「鳴る」なのです。

 アマノヌホコは、この「なる」とはなにかということを具体的に教えてくれます。

 以下の古事記の文が、言霊を知るための基本文です。

「於是天b諸命以、詔伊邪那岐命、伊邪那美命、二柱b、修理固成是多陀用幣流之國、賜天沼矛而、言依賜也。

故、二柱b立訓立云多多志。天浮橋而、指下其沼矛以畫者、鹽許々袁々呂々邇此七字以音。畫鳴訓鳴云那志。而、引上時、自其矛末垂落之鹽累積、成嶋。是淤能碁呂嶋。自淤以下四字以音。

於其嶋天降坐而、見立天之御柱、見立八尋殿。

於是問其妹伊邪那美命曰、汝身者如何成。答曰吾身者、成成不成合處一處在。

爾伊邪那岐命詔、我身者、成成而成餘處一處在。

故以此吾身成餘處、刺塞汝身不成合處而、以爲生成國土。生奈何。訓生云宇牟。下效此。伊邪那美命、答曰然善。爾伊邪那岐命詔、然者吾與汝行廻逢是天之御柱而、爲美斗能麻具波比。此七字以音。

如此之期、乃詔、汝者自右廻逢、我者自左廻逢。約竟廻時、伊邪那美命、先言阿那邇夜志愛上袁登古袁、此十字以音。下效此。

後伊邪那岐命、言阿那邇夜志愛上袁登賣袁、各言竟之後、告其妹曰、女人先言不良。雖然久美度邇此四字以音。興而生子、水蛭子。此子者入葦船而流去。次生淡嶋。是亦不入子之例」

 宗教も、文化も、芸術も、すべての起源は、このアマノヌホコから始りました。

 私たちは、この原始の力を学び、物事の奥に潜む本当のことは何かということを模索していきたいと思います。

 原始の力を学ぶと、いろいろなことがみえてきます。

 たとえば、昔、宗教という名称さえなかった時代。

 純粋な祖先たちは、恵みを得た時、天を仰ぎ、地に伏せて感謝を捧げました。

 そのときは、言語なども当然、必要のない時代でしたから、「アオウエイ」の五つの音だけでコミニュケーションをとっていました。

 言語や文字が必要になったのは、人が権力というものに目ざめ、欲に取りつかれたときからでした。

 人が信用できないと、文字をという形を残して約束事をします。
 文字は、また、遠くにいる人に自分の意思を伝えるときにも使いますが、これは遠くにいる人に文字をつかわなくても伝える能力が失せたからです。

 言葉は言い訳をするのに必要です。あうんの呼吸だけで分かり合えなくなってきた証です。

 元来、祈りの形式は、全身全霊をもってこそ行うものでした。

 天の恵みを思うときは天に向かって両手を広げ、大地の恵みを思うときは大地にひれ伏しました。

 こんなものを収穫しました、と感謝をささげるときは、その収穫物をもって自然の力ある存在に対して、その収穫物を見てもらうため、上に下に、左に右に、前に後ろに、と心のままに捧げる動作をしました。

 言葉や、文字にかえた祝詞などはなく、ただ、天から聞こえた声と言われる五つの音をもって、たとえば「アー」とさけび、たとえば「オー」とさけんで祈ったのです。

 それが、村の中央に多くの村人が集まって、いっせいに天を仰ぎ、言霊を発します。

 何の音を出すか、取り決めもないのに、村人全員が期せずして、同じタイミングで、同じを音声を発します。これは圧巻だと思います。

 神と人が近かった時代ならではの現象でしょう。

 いま、八力の型でおこなっていますことは、こんな原始の祈りの再現です。

 
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