2014.01.28 

              第114話 「願いを祈りに」

  1. 体と魂の関係

    体を練るとは腰を練ること

    腰を練るとは腹を練ること

    腹を練るとは丹を練ること

    丹を練るとは魄を練ること

    魄を練るとは魂を練ること


    以上は、なぜ体と心が一体なのかということを表したものです。

    また、私たちが肉体を与えられてこの世に降された理由でもあります。

    霊魂の向上は、肉体の動きである八力を通してこそ得られるのです。

    八力とは天帝の全き力、すなわち全力のことを言います。
    「全力を尽くす」とは、創造主の八力すべてを用いるということです。

    八力とは「凝解分合動静引弛」に分類される八つの力のことをいいます。

    この八つの力は、また次の四つの魂に分類されます。

    凝解〜幸魂(愛)
    分合〜和魂(親)
    動静〜荒魂(勇)
    引弛〜奇魂(智)

    八力すなわち四魂です。

  2. 体と心の軸

    そして、八力を動かす軸となるのが「ウ」といい、「直霊」または「一霊」という、創造主と直結した霊魂とつながっています。この霊魂は「省みる」という、人として最も大切なはたらきをもっています。

    人は、この直霊があるがゆえに人〜霊止(ひと)と呼ばれています。

    ウは内回りして下から、そして上から真中に向けて力が流れ。また、外回りして下から、そして上から真中に向けて力が流れていくなど、四つの力を持っています。

    すなわちこの世に存在する「力」とは「十二力」であり、この世における「心」とは「一霊四魂」を指します。

  3. 力と心に伴う音声

    また、この「力と心」には「音」が伴います。

    愛〜ア「a」
    親〜オ「o」
    省〜ウ「u」
    勇〜エ「e」
    智〜イ「i」

    これを父なる天の声、または「五大父音」といいます。
    すべての音には、この五大父音(aouei)が含まれています。

    たとえば、五大父音に「K」の子音がつけば「Ka、Ko、Ku、Ke、Ki」となります。

    「M」の子音がつけば「Ma、Mo、Mu、Me、Mi」となります。

    「父と子と聖霊の名において」とは、「子音と父音を合わせて鳴る75声の言霊の力」という意味です。

    また「アーメン」は仏教でいう「阿吽〜アウン」、またバラモンやヒンズーなどインド仏教でいう聖音「AUM〜オウム」と同様です。

    これらの音は、すべて「アオウエイ」が凝縮した音声で「天と地を結ぶ水と火」を意味します。

  4. 言霊とは腰の入った音

    このように、真の言霊とは、全身(十二力)全霊(一霊四魂)をもって発する命の音声です。

    正しく体を使うときに腰を入れるのと同様に、正しく声を出すときにも腰を入れるのです。

    腰の入った動きは統一体といって、五体が一つの塊となって動きます。たとえば、物を右に動かす時も、腕など体の一部分だけ使って動かすのではなく、五体全部を使って物を右に動かします。

    一見大げさに見える動作ですが、そこには全身全霊をもって物に接するという、日本独特の、万物の霊的存在に対する敬意が表れています。

    腰を入れるとは、片手扱いではなく、すべての動作が両手扱いとなります。

    お茶碗をもつ時も、箸を使うときもすべて腰が入ります。

    物を片手で持つときも、もう片方の手は「支え〜支点」となり、動くほうは力点となっているのです。日本の礼儀作法の基本姿勢は、自然体の時の手の位置が常に両膝の付け根辺りに置いているということです。

    座るときも両手は膝に置き、立って歩く時も両手は膝に置いています。

    両手両足は一体のものとして動くのです。

    右手を上げたとき、左手はダラリとしているのではなく、しっかりと膝の位置で力強く支えとなって活動しているのです。

  5. 言葉と言霊の違い


    言霊を学ぶには、五体を動かす腰のはたらきを学ぶことが重要になります。

    正しい腰の使い方により「腹」に力が注がれていきます。

    腹には丹田という霊的力が秘められたエネルギー貯蔵庫があります。

    古来よりここは「天津タタラ場」とも言われ、物凄い宇宙の力を秘めた場所と信じられてきたのです。

    この丹田より発せられる音こそ言霊です。

    逆にいえば、正しい言霊を使うことにより、腰と腹がすわった状態になるということです。

    古来より「日本は言霊の幸はう国」と言われていますが、これを言いかえれば「日本は腰と腹の文化をもった国」と言うのと同様だと存じます。

    腰が低いということは「礼儀正しく」ということであり、腹が据わるということは「落ち着いた」ということです。

    言霊という文化が、日本に和の心を生み、礼節を生んだのだと思います。

  6. 願いから祈りへの昇華


    聖書に「あなた方は立ちかえって落ち着いているなら救われ、穏やかにして信頼しているなら力を得る」と書かれています。

    腰と腹を座らせることは、正しく祈りをなす第一歩の心構えでもあります。

    腰が入らない祈りは、表面だけ(口先だけ)の祈りとなります。

    これは祈りと言えず「願い」といえます。

    言葉は願い、言霊は祈りです。

    「願いを祈りに」とは「言葉から言霊に」ということではないかと思います。

    腰が入らない表面だけの音を言葉といいます。

    腰が入った内からの音を言霊といいます。

    つまり「内のごとく外も、外のごとく内も」といった内外一致した状態。

    「嘘のない誠実な姿」こそ言霊が私たちに訴えていることだと思います。

    古来より、言霊を使うものを「聖(ひじり)の民」と言います。

    世の平和を祈り、神とともにあることを望み、神の心をわが心とするなら、もはや言葉を捨てて言霊を使う聖人となることを宣言することです。

    すべての人々が聖人への道を望んだとき、この世の次元は一気に変わります。


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