2014.02.24  

              第116話 「エンマさまの前」

 
稽古は、結果ではなく、過程をこそ大事にすべきものです。

 「技が出来た出来ない」また「勝った負けた」ではなく、技を稽古するという「がんばり」にこそ、評価が与えられるものが武道なのです。

 この国は結果や答えを求める国ではなく、プロセスを大切に思う国です。

 人生も稽古そのものです。
 
 過程を大切に思って生きていくことが重要です。

 人生最後の時が来た時、何をやったかではなく、何のためにやったか。

 どのようなプロセスを経てやったのかが問われます。

 例え話です。

 AとBの二人の人が山に登ることになりました。

 そこはとても高い山で、容易には登頂できません。

 Aさんは、名声を得たいがためにその山を目指します。

 Bさんは、ただ山が好きで山に登ります。

 Aさんは、社会的地位もあり有名な人で、とてもお金持です。登山道具も一流の品物をそろえ準備万端です。しかも大勢の人を雇ってパーティーを組み、テントを張るのも食事を作るのも使用人たちがやります。

 Aさんはただ歩くだけですが、歩くにも人が前になり後ろになってAさんを引っ張って前に進ませます。

 しかし、そんなにサポートしても早々と「なんでこんなことやらなきゃならないの」とAさんは不平不満を言いだし、とうとう歩くのをやめてしまいます。仕方なく使用人たちは無線でヘリコプターを調達して、一気にAさんを山頂に運びました。

 かたやBさんはとても貧乏です。

 まともな登山道具など買うお金もありません。安物のズック靴と、米と味噌の入った、くたびれたリュックサックを背負い、ぼろ傘を一本さげて、たった一人で山に入りました。

 Bさんは、途中雨にあい風に吹かれながらもあきらめることなく、一歩一歩道なき道を歩き続けます。時間とともに寒さに震え、わずかな食料も尽きました。テントもないので夜は傘を抱きしめて木や岩の陰で雨露をしのぎます。

 それでもBさんは不平や不満をもらしません。そればかりか、いつもニコニコしながら「ありがたや〜うれしいやなあ〜、みんなごめんや〜かんにんや〜」と、まるでそれらの言葉を歌のように口ずさみながら前に進んでいます。

 彼にとって、山や雲や獣や虫たちの声が彼にとって常に語るべき友であったのです。

 そしてとうとう、Bさんは困難を困難と思わず山頂に到達しました。

 いずれにせよ、二人は山に登るという目標を達成したのです。

 しかし、ちょうど、二人が期せずして登頂したときのことです。

 突然山が噴火して二人は命を失いました。

 気がつくと二人は、エンマさまの前に座っていました。

 Aさんはエンマさまに「私は社会的に成功をおさめ、多くの国や人びとに利益をもたらしました。福祉活動にもボランティアにも尽力し、援助を惜しみませんでした。どうか、それを推し量って、わたしを極楽に行かせてください」と進言しました。

 エンマさまは答えます。

 「おまえが成功するのに、どれだけ多くの嘘をつき、どれだけ多くの人を苦しめた。おまえがまいたお金は策略に満ちた邪気である。おまえが施した善意もまた策略に満ちた邪気である」

 エンマさまの顔は例えようのないほど恐ろしい形相になっていました。

 エンマさまは、人差し指を下へ下げられると、大地が避けてAさんはその裂け目に落ちて行きました。

 次にエンマさまは、Bさんに顔を向けられました。

 Bさんは、いつもと変わらぬ風で「ありがたや〜うれしいやなあ〜、みんなごめんや〜かんにんや〜」と歌っています。

 エンマさまは、さっきと打って変わり、柔和な顔で微笑みながら語りだしました。

 「Bよ、おまえの生前における人生はまことに貧しいものであった。現世的には何も幸せといえるものではなかった。しかし、おまえは何一つ不服もいわず、あまつさえ笑顔を絶やさず人の世の営みを本当に楽しんで生きてきた。その姿に励まされ、心なごむものは数知れずいた。大義であった。そしてまことに御苦労であった」

 エンマさまは、人差し指を上に向けられました。

 すると天上から光の柱がくだり、多くの天使たちが降りてこられました。

 Bさんは意に介せずまた歌います。

 「ありがたや〜うれしやな〜、みんなごめんや〜かんにんや〜」

 天使たちもBさんの歌声に合わせて歌いだしました。

 そうして、みんなで楽しそうに極楽に向かっていかれました。

 エンマさまは結果を見ず、その生き方を見るお方です。

 人生の最後は、何をやったかではなく、どのようにやってきたかという「過程」が問われるのです。

 稽古とは「過程」の積み重ねです。

 結果を出すことだけに重きをおき、過程を無視する者は、最後の審判において大いに後悔をすることになります。

 エンマさまは、私たちが生まれてからずっと克明に私たちの行状を付けとめておられます。

 私たちが苦しみに耐えかねて泣いた時。

 しかし、それで私たちが悪に陥らず忍耐した時のことを覚えておいでです。

 人からののしられて泣いた時も、報復せず、かえって善をもってかえした時も覚えておいでです。





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