2014.05.06   

              第121話 「拍手の効用」

拍手を打って気付いたことがたくさんありました。
これは私にとって大きな副産物でした。

力強く拍手を打つには、姿勢が大切です。

まず、下腹を上にあげ、頭を下へ下げます。
これで、上下の線が結ばれます。

次に、両手を合わせて、少し強めに抑えます。
そうしますと、左右の体の歪みが正されます。

上下と左右、つまり縦線と横線が交叉され、十字ができます。
この十字の交叉したところが合掌の場所、両手が打ちあわされる場所です。

合掌し、右手を左手と縦に並ぶようにします。
五指はしっかり揃えます。

左手の親指の下に、右手の親指がきます。
右手で左手を押し上げるような感じです。

左手を「火」とし、右手を「水」として構えるわけです。
これで「火水(かみ)」となります。

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両手を打つ時は、体の幅、すなわち外側にゆっくり広げます。
広げた時は、体の力が緩みます。

両手を広げる「ゆるみ」と、両手を閉じる「かため」となります。
手を広げたときは「○」、手を閉じたときは「・」となり、「ス」の印を表します。

そして、両手を内側に速く動かして、両手を一気に合わせます。
ちょうど、左手の手の平に、右手の親指以外の四指が来ます。
左手の掌という「鼓」に、右手で打つ感じです。

合わせた瞬間に音が鳴ります。
その音は、「パン」と弾くような音ではだめです。
むしろ、こもるような音で「ポム」と鳴ります。

両手は、当たった後、すぐ離して広げるのではなく、ひと押し抑えます。

順序でいえば、「合掌→広げる→打つ→抑える」です。

手を広げたときは「柔」となり、手が動いた時は「流」となり、手が合わさった時は「剛」となります。これ「三元」を表しています。

また、八力で考えれば、手の打ち方には以下の四種類あります。

1、「右手右旋、左手左旋」 〜凝、解

2、「右手左旋、左手右旋」 〜引、弛

3、「両手右旋」 〜分、動

4、「両手左旋」 〜合、静

よって、拍手は八力であり「八平手」となります。
八平手すなわち、四拍手です。

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抑えるようにして拍手を打ちますと、心を鎮める音となります。
弾きますと、その逆の作用になります。

例えば、おさな子を寝かしつけるとき、親は手の平で、子供の体を叩くのではなく、やさしく愛情込めて抑えるようにして手を置きます。その時「ねんねこや〜、ねんねこや〜」などという言霊を添えます。

また、気持が興奮して冷静さを欠いている人に対しては、これもその人の肩に手を置き、やさしく抑えるように手をおきながら「落ち着いて、落ち着いて」という言霊を添えます。

逆に、励ますときは、張り手のように「バン」と強く相手をたたいて「頑張れよ!」などといいます。

手の打ち方一つで、「鎮める」のか「目覚めさせる」のか変わります。

柏手といわれる拍手は、魂を「鎮める」ためにおこなう鎮魂なのです。

手を打つことは、神をわたしたちの体の中に招き入れる手段といえます。

このとき、体は「ひもろぎ」、すなわち、神様の宿り木となります。

ですから、姿勢を正し、心を正さなければならないのです。

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拍手は、呼吸を整え、体の歪みを矯正するはたらきをもっています。

また、右脳を活性化させます。
右脳は、精神脳と言われ、霊的感性を司ります。

脳は、体と交叉してはたらいています。
事務的なはたらきを司る左脳は、左半身。右脳は右半身とつながっています。

普段、私たちは、計算したり、ものを図ったり、言葉を選んだりというように、何かにつけ体の機能重視を優先します。これが左脳の仕事です。

右脳は、それと反対に、季節を感じたり、愛情を感じたりなどの情緒を重視する分野です。

右手で、左手に刺激を与えることは、「心よ、起きなさい」と言う感じで、右脳に信号を送ることになります。

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時折、稽古でやってます75声の言霊の歌を歌いますと、一回の歌で、200回の拍手がおこなわれます。

拍手一回にかかる筋力の負荷は、測ったことはありませんが、手が打ちあわされる瞬間の衝撃の重量は、おそらく何十キロというものではないかと思います。

むかし、私は空手をしており、試し割りという演武をよくやっていました。

試し割りは、実際に人間に当たったときの衝撃を知るための訓練でした。

試し割りは、みなさんがよく知るところでは、板や瓦を何枚も重ねて割ったりするシーンを思い浮かべられるでしょう。

私たちは、そのほかに、野球の圧縮バットや、ビールやコーラの瓶、耐火レンガ、建築ブロック、氷柱、自然石など、いろんな固い物を的にして、それを一気に粉砕する稽古を積みました。

こういった物を、私たち人間の柔らかい手や足で粉砕するには、瞬間にかかる負荷をできるだけ大きなものにしなければ成功しません。

「エーイ!」「オリャー!」などの気合いという破壊の音をもって、一気に物体に手をぶつけていきます。音の力をもって、恐怖を打ち消し、体の神経を麻痺させます。

躊躇し失敗すれば、骨折は免れません。私も過去に幾度か試し割りに失敗して骨折をしました。

気合いもろとも、割れると信じて手を振りおろすときの速度は、時速にしたら何百キロではないかと思います。また、当たった時の物体に対する重量もきっと膨大な重さになっていたことでしょう。

わたしは、このたび、拍手を繰り返してみて、あらためて、あの試し割りのときの「インパクト」を思い出しました。

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拍手のもつ衝撃で、十分に板や瓦を数枚重ねて、真っ二つにすることが可能です。

この衝撃をもって、例えば、人を叩けば、簡単に相手をノックダウンさせることができます。無駄な動きのない、正しい拍手が打てるようになると、体が統一体となり、力の爆発力をコントロールすることができます。

打つタイミング、力の集中、呼吸力が高まると、大きく手をスイングさせなくても、たった十センチぐらい相手の体から手を離し、一気に触れるだけで、簡単に大男をダウンさせるだけの、十分な打撃力を発揮させることができます。
顔を打てば、顎がはずれ、歯は砕けるでしょう。

剱で言えば、拍手を打った瞬間は、剱を打ち込んだ瞬間、祓いを決めた瞬間そのものです。いわゆる武道でいいますところの「極め(きめ)」とものが、この拍手をしたときと、まったく同じなのです。

手を合わせた時、体は金剛力を発揮しています。

ですから、拍手する様子を見るだけで、私には、その人の技量がわかります。

拍手は、素晴らしい健康法であり、精神集中法であると思います。





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