2014.07.21   

              第126話 「だるまさんのように」

 皆様には「表」「裏」「回転」など稽古における体裁きにお悩みのことと思います。

 自由に動くためには、あらゆる動きに対応できるよう訓練を積む必要があります。

 たとえば相手が右から来れば、こちらとしては左にも、右にも、前にも、後ろにも斜めにも、また下にも上にも動ければ、随分気持ちも楽になります。

 右から来たら、左にしか行くことができない。

 もし左に行きそびれたたら、もう後がない・・・となれば、気が重たいものです。

 「失敗は許されない」という前提があると、人は過度に緊張し、動きが固くなるものです。

 それに比べ、どこへでもいく選択肢があると、本当に気が楽になり、気が楽になると動きが軽くなります。

 人は失敗をする、いえ、正確には「仕損じる」生き物です。

 私は「失敗」とは、やるべきことを途中で投げ出したことによって心が傷ついた状態をいうことだと思っています。

 例えば、相手が右から打ち込んできたのを、判断を誤って左へ向いてしまい、受けそびれた瞬間「ああだめだ」と諦めてやめてしまうこと、これを失敗だと思うのです。

 しかし、右から打ってきたのを、受けそびれて左を向いても、すぐ「おっと、こっちだった」と事後にしろ、諦めずに右へ向いて受け直したならば、それは結果として成功を納めてことになります。

 大難を小難に、小難を無難に祭り変える努力が続く限り、人生に失敗なんぞありはしません。

 コケたとしても何度でも起き上がって、目的に向かう人こそ成功者です。

 また、周りは、不器用だけれども、そんなひたむきな人の姿から何かを学ぶのです。

 自分も学び、同時に周りも学ぶ。

 一石二鳥です。

 これこそ、神様が人の世に求めるものではないでしょうか。

 私たちは、転んで学ぶために、この世に生を受けたのですから。

 しばらく、皆様には、無理難題を課しますが、どうぞ、あきらめずに稽古を続けてください。

 自由に動き、自由に考えるために、いま束縛を楽しんでいるのです。

 いま型にはめています。
 
 それは、いつか型をはずすためです。

     〇

 うまくお伝えすることができないことに、私自身の指導力の至らなさを痛感する昨今です。私も、こういった技を誰からも教わったわけではないので、私自身も迷いを感じながらの稽古の日々です。

 ともに励みましょう。

 だるまさんのように、何度でも転んで、何度でも起きましょう。

 そして、ともに言霊の武道和良久を成就させましょう。





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