2014.08.19 

                 第128話 「天津金木 11」
  1. 金木表面の部分を「オシ」たり「ヨセ」たり「ヒメ」たりすることによって、火が地に変じたり、水が火に変じたり、また、地が水に変じたりする。

  2. 奇魂が和魂に変じたり、幸魂が荒魂に変じたりする場合も、これと同様で、金木の表面の色彩を変化させるのみである。

  3. 荒魂が気体に変ずるとか、固体が和魂に変ずるときは、金木の本と末とをぐるりと一回転させて変化させる。

  4. 金木を回転させて、本が末となり、末が本となれば、液体が変化して、荒魂に変じる。

  5. 変じる場合に「オシ」「ヨリ」「ヒメ」「コロ」「ワケ」などの作法が加わってくれば、液体が変化して和魂となる。このとき金木の方向が転じただけではなく、表面も「ヒメ」られてこなければならない。

  6. 液体の中にも、水もあれば、油もあり、酸もある。量の変化、すなわち天津金木の結びによる変化は神秘である。

  7. 水が変じて植物の生命となる変化も、天津金木の上では、容易な作法で窺い知ることができる。

  8. 液体が和魂のように霊魂に変化することも容易に成す自然の偉大なる造化力は、実に不思議である。この神秘の実態に参入する天津金木は、まさに一切の創造を成就することを体感する偉大なる学術である。

  9. われらは天津金木の上では、いかなる神秘でも平気に行うことが可能である。手中に宇宙の雛型を手にしたかのごとくである。

  10. 食物を食べて、それを肉体の上の栄養になるというだけではなく、生命の量ともなる見えない現象をも天津金木は形をもって見せてくれる。

  11. ただし、天津金木の運用上において、そういった現象を窺い知ることは容易であるが、それを体験の上において実現していくことは、まことに困難である。理想は理論の上では成就するが現実において容易ならざるもののごとくである。

  12. 観世音菩薩の変幻自在の不思議なることは、菩薩にとっては量と質の配列を変えるだけであって何の苦もないことである。しかし、これを私たちの体験の上に興すことは容易なことではない。

  13. 天津金木は、体験を本位とする。自在応変の境地に到達するのが目的である。

  14. 作法と修練をもって、われも神仏と同化し、神仏と同じ体験を重ねることを目的とする。

  15. 根本の力を失った現代のわれわれは、塵芥の一つさえも創造することが出来ない。

  16. 天津金木は、運用する上で、物質でも霊魂でも自由自在に取り扱い、いかなるものも創造することを可能にする力を握っている。

  17. 創造の力を備えていないわれわれは、天津金木の作法をもって、神の見地に立って自在に創造を営むことを体験する。

  18. 天津金木を行ずる者は、自己を超越して本来の立場に帰り、創造の偉力を発揮させるという神の立場に立った心が大切である。

  19. こういった道にある者は、ともすれば猿が衣冠束帯して王座に着いたような滑稽さと、恐れ多さが先立って、前に向いて進むことが憚れる思いになるものである。

  20. 常に忘我の境に立ち、大儀を思い、そのために命を賭しても悔いなしという純粋さを忘れぬならば、道を歩くに何の遠慮があろうや。大勇猛心を奮い起こし、威風堂々として神の体験を求めることを選択すべし。神必ず道を歩む者を守る。


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