第132話 「八力は生きる姿」2014.10.20
八力は、和良久だけの特殊な力の法則ではありません。
八力の示す八つの形は、私たちが力一杯物を持ち上げたり、ひっぱたり、押したり、叩いたりしたときの体の格好です。
八力は、私たちが生きるために、野に山に川に海に出て働く様子そのものです。
例えば、右の肩に米俵を担ぎ上げた時は「凝」、斧で木を切るときに打ち込んだら「解」や「弛」、右足を前にして重い石を抱えたら「分」左足が前なら「動」、鍬で土を掘り起こし、右足が前にきたら「合」左足が前なら「静」。
また、魚を釣るため竿を振り釣り糸を遠くに投げ入れるとき「合」や「静」、釣って船に引き込むとき「分」や「動」。
川に入って魚を手で捕まえるとき、虫を捕まえるとき、また木の実をとるときなどは「ウ」。
このように、渾身の力を振り絞って生きる姿が「八力」です。
このほか、作法を正して食事をいただくとき、合掌は「ウ」、左手で茶碗をもったら「動」、右手で箸をつかんで「分」、おかずを「解」や「弛」でつかみ、ご飯とともに「分」で口に入れ、左隣の母親が「引」でおかわりのお茶碗を渡し、「凝」で受け取り、最後にお茶を「動」で押しいただきます。
私たちが生きて動くとき、いつもそこに八力があります。
この動きをなめらかに優雅に美しくすることによって、心が豊かになり、生活に潤いが出来ます。
丸くゆっくりと動くことは、自分自身はもとより、周囲の人々や自然にとっても、よい影響を与えます。宇宙と調和する波である、螺旋波動が発生しているからです。マイナスイオンのようなものだと思います。
ゆっくり、なめらかに動くことは、医学的には副交感神経がはたらき、血流も安定、免疫機能も上昇するなど健康によいことも実証されています。
八力は、体の動きのみならず、言葉や呼吸と深くつながっています。
ゆっくり正しく話すことも、呼吸をすることも、やはり螺旋運動にほかなりません。
螺旋という宇宙の法則に合わせることは、健康によいことは言うまでもなく、体と心の奥底に眠っている力を目覚めさせることにもなります。
八力の運用は、一霊四魂のはたらきを強く盛んにすると伝えられています。
そして、一霊四魂の向上は神とのつながりを深めます。
これは「75声」の言霊(八力)は「アオエイ」(四魂)に、「アオエイ」は「ウ」(一霊)に、「ウ」は「ス」(神)に直結しているということを示す「フトマニノミタマ」の図に書かれています。
神とのつながりが深くなれば、全世界の人々との意識交流に参加する機会に恵まれます。
縦と結ばれれば横ともつながります。
しかし、文明が発達し便利な時代になった昨今、私たちの周りから「生きる」ための動きが消えました。
海や山に行かなくても魚や肉は食べることが出来ます。
畑を耕さなくても米や野菜をマーケットで手に入れる事が出来ます。
木を切らなくても家は建ちます。
お金を払えば物は何でも手に入る時代になった今、こういった「生きるための形」が消えていったのです。
八力は、「渾身の力で本腰を入れる」動作です。
古来、腰が入って生きてきたから、私たちは頭でなく腹でものを考えてきました。
しかし、腰を入れなくても生きていける時代になった今、私たちは腹で考えるということを完全に忘れてしまいました。
便利な時代だからこそ、科学が発達した時代だからこそ、心と体を原点に帰す努力は惜しんではならないと思うのです。
凝、解、分、合、動、静、引、弛・・・。
これは特別なものではなく「生きる」ための力なのです。
人が人であり続けるための動きなのです。