第147話「魔に魅いられぬ気迫を」2016.04.18
稽古人は体を鍛える訓練のみならず、霊を鍛える訓練も同時に行いしものなり。
むしろその方に重きをおいているといっても過言ではなきなり。
われらのいう強さは肉体的強さをいうのではなく霊的強さを言う。
霊的とはおのが心の問題、またおのが魂の在り方、また創造主をはじめ、八百万の神々、そして俗にいうところの幽霊や邪霊、悪魔などに対して、ということである。
畏こくも創造主自ら書かれた天津金木なる水茎文字を身体に転写して、日夜稽古に励んでいる身。
また天津菅曽の光明をもって、邪を祓いに祓い、退いに退はむがために剱を振るっている身。
そのような我らは、いかな高名なる神主も僧侶も真似の出来ない秘技を一心に練っていることを忘れてはならない。
○
稽古において全身全霊で我らが発声せる声は、世の迷える御霊たちを慰むる言霊なり。
稽古において全身全霊で我らが振る剱は、邪神どもをバラバラに寸断する神の剱太刀なり。
かくのごとく強力なる技を修めし身なるがゆえに、稽古人諸氏にはどうか霊に対しても自信をもっていただきたい。
霊は畏れかしこむべき存在である。怖がってばかりおらず、できるだけ正当なる手段をもって手厚く慰めることを怠ってはならぬ。
稽古人は、剱の立ち会いのごとく、気丈かつ冷静に霊に対せねばならぬ。 迷い霊などに惑わされては稽古人の恥なり。
○
また霊媒や占いなどを生業とする、よこしまなる者らに言いように言い含められ、道を誤ってはならぬ。
「われは○○の神に託せんを受けし者、われの言葉を聞け」などと人心を惑わす輩、今の世にあまた居るなり。
これからも続々と出るなり。
ことに高名なる神の名を出し無邪気なる人らの心の隙間を始終狙っている。とくに艮の金神の名を語る者いと多し。これ世紀末の印なり。
この金神が懸かられしは、あとにも先にも地上で唯一、出口直お一方である。
そして、すでに言いたいことは言われ、伝えるべきことは伝え終わったのである。
神に言い残しはない。
神の言葉に二言なし。
○
和良久の名は、この出口直の霊系を継ぐ四代教主出口聖子師より賜った名である。
和良久は艮の金神の描かれし水茎文字を手本として稽古する天真正伝の武道である。
金神の御心は、稽古を通して知ることができる。金神にもっと近づきもっと寄り添いたいならばもっと稽古に励めばよい。
我らにとって、金神は稽古とともにある。
神を外に求めるのは道を外すの始まりなり。神は内にあって我らを守る。
○
裏神業を教えると言って近づく輩あり。
神の業に裏も表もない。
まことの神は真っ向正面から堂々とおわします。
あなただけに神の真実を伝えると、小声で近づく輩あり。
神の真実はすでに明らかなり。
ひそひそ、こそこそと行動なすは邪神の得意技なり。
稽古びとよ、信仰を真っ直ぐもち、ひたすら根神なる創造主に祈れよ。
その名は各種あって以下の如し。
あめのみなかぬしのおほかみ
おほもとすめおほかみ
おほくにとこたちのおほかみ
われらが主よ
われらが創造の主よ
唱え方は変われど 、大いなる創造の一柱の神なり。
その一柱の神の周りには力ある八百万の神々控えおり。これ「かむどやはしらおほかみ」とはいうなり。鬼門金神ともいう。
この神に会いたくば大本神諭を拝読すべし。
その迫力と威厳に満ちた言葉の抑揚に接しなば金神の姿も目前に浮かぶなり。審神の力も備わるなり。
巷に横行闊歩する艮の金神を語る曲津ものどもを近づかせぬ力も養われるなり。
○
和良久の稽古人は気迫充実させるべく稽古に励め。
魔に魅いられぬ気迫をもて。
邪霊、悪神たちは隙を狙っていることを忘れてはならない。
曲津どもを一太刀で断ち切る威力をもつ稽古びとたれ。
近づくな、怪しき場へ。
頼るな、魔の者らに。
聞くな、よこしまなる者の甘き言葉を。
心を天剱にして高くし、体を地剱にして低くせよ。
志高く物腰低くあれば、神必ずわれらを導く。
常に口に唱えよ。
かむながらたまちはえませ。
かむながらたまちはえませ。
神われとともにあり。
神われとともにあり。