2016.09.13
第155話 「神の兵法」
兵法の観点から言うと、本当の神様の計画を遂行する者は、いま表に立って声高に愛や平和を叫ぶ人の中にはいない。
いま街頭に立って叫んでいる人たちは、戦国時代に「乱破(らっぱ)」と呼ばれる者たちと同様である。
乱破は、敵地領土に忍び込んで「今度いついつに敵方が攻めてくるぞ」「敵の軍勢はこれだけいて、こんな武器を使うそうだ」などとわざと誤報やデマを飛ばして民衆を混乱させる役柄だ。
やがてその噂は、城中にまで届き、軍備を整え、その攻めてくる日に備える。しかし、その噂通りに攻めてこない。
敵方はこのように相手に油断をさせて、まったく噂とは違う方角と兵力をもって攻め寄せ一気に滅ぼす。
火の気のないところに煙をたたせ、大火事だと言って人々を不安に陥れ、混乱に乗じて攻め混む戦術はその時代によく行われたことだ。
○
巷に広がる噂(予言)に惑わされず、いかに正しい情報(神のご意志)をつかみ、方向を見失わないかということは、いつの時代にも変わらない大切なことだ。
真に敵(悪魔)を滅ぼす輩は、目立つところにいない。大きな声で叫ばない。大きな役職につかない。
また、本人自身も実は真の任務を知らされていない。本人が知らないから敵もつゆにだも疑わない。
いわゆるその輩は凡人である。
凡人は淡々として静かな日々を送る。
まったく敵からの注意を引かない、的にもされない者である。
こんな者たちが静かに敵方に潜んで、ひたすらゴーサインが出るのを待っている。
いや正確には指示を待っているというより、この者たち、決起する時は誰からも指示されることなく突然自主的に動き出す。
人間界でいうと洗脳というものがあるが、これに似ている。
これは神の洗脳がかかった者たちだ。
洗脳というと言葉は悪いが、生まれつき神の意思と計画が植え込んであるので、時来れば自主的に「動くのは今だ」と察し、いっせいに動き出すのである。
誰の指示も受けず、全世界レベルで一斉に動く。
これは集団的行動ではなく、個人的な行動である。
人に言われてやったことでなく、自主的な行動なのである。
だから強い。
その時一気にチェックメイトとなり、みろくの世が成就する。
○
そういった 神の計画が刷り込まれた人たちが世界各所に配置され、悪魔への一斉攻撃の時を待っている。
まったくターゲットにもされず、塵ほどの脅威にも感じないような人、否むしろ権威者たちから見下げられた凡人たちの中にこそ神の用意した驚くべき力をもった者が潜む。
例えば街のどこにでもいるような若者の中に、黙々と土を耕すおじいちゃんの中に、ニコニコして座る煙草屋のおばちゃんの中に、生まれたばかりの赤ちゃんの中に〜そんな中に神の用意した者が潜む。
本人も知らぬ。
周りも知らぬ。
神は「あんなものがこんなものに」「上の者が下にかえり、下の者が上にかえる」という天地が逆さまになるような兵法を用いられる。
○
いま表で声高に叫ぶ者は 悪神の注意を引くオトリである。
オトリ、すなわち乱破に踊らされぬよう常に心を鎮め神に波長を合わせておくことが大切である。
いつ「その日」が来るか分からないから。