2016.10.05
第156話 「人として魂を汚さぬよう」
世は健康ブーム。
動物のポーズを真似たり、体をぶるぶると震わせたり、大笑いをしてみたり。
巷にはまことに奇っ怪な健康法が流行っている。
簡単で楽しく、しかも速効性があると言うことで皆が飛び付く。
簡単、楽しい、早い。
これが昨今の流行するもののキーワードのようである。
これら、妙であるが確かに体に良い。
だが気をつけないといけない。
体には良いが、霊的、すなわち魂にどう影響するかということだ。
○
「人はパンだけで生きるのではない」
イエスが言われた言葉である。
私たちは、物質的な力や作用だけで命を保っているのではないということだ。
人は物に潜む霊的エネルギーも同時に摂取して、肉体のみならず魂にも栄養を与えて生きているのだ。
神の子である人というもの、いくら体に良いからと言って、魂を汚し堕落させるようなことをしてはならない。
○
動物の真似をすれば動物の霊魂が寄る。
神の真似をすれば神が宿る。
これは当然のことだ。
野生の動物は生命力が盛んである。
確かに虎やライオンの真似をすれば強くなる。
蛇の真似をすれば粘り強くなる。
猿の真似をすれば機敏になる。
しかし、人は神に似せて造られたもの。
神の真似をするならともかく、人が動物の真似をしては、その魂まで、真似た動物の入れ物となる。
肉体は魂の入れ物。
その入れ物の形と動きにより、宿る魂も変わる。
これは鎮魂帰神の基本的理念である。
人が互いを労り愛し合い平和に生きていくことを願うのなら、人はその造り主である神の真似をすること。
戦い合い、競い合い、奪い合いを望むなら、獣の真似をし、邪神を崇拝すれば成就する。
○
大本において鎮魂帰神の術が盛んなりし頃、霊がかり現象が多発した。
そして、この不思議な現象を求めて大本の入信者は増加した。
鎮魂帰神は、その自身が保有する霊魂の徳に応じて神霊がかかる。
ゆえに、しっかりと潔斎もせずして安易に術を行うととんでもないことになる。
鎮魂後、体をピョンピョンと跳び跳ねさせる者、体をブルブルと震わせる者、大声を出して笑い出す者など奇妙な現象が相次いだ。
きちんとした修行も行わずに興味本意にやったがゆえ、憑依したのはほとんど邪霊、動物霊などの類いであった。
結局、鎮魂の術は中止のやむ無きに至った。
○
いまのブームに乗ってやっている健康法は、ちょうど鎮魂時の憑霊現象に似ている。しかも明らかに邪神がかかった時と同様なのだ。
その動作を見ると奥ゆかしさも風格もない。
これらの体操、偉い大学の先生方のお墨付きなのだから、一般の人たちが信用するのも無理はない。
免疫力が向上する。
体の中心軸が確保される。
運動能力が向上する。
痩せる。
お通じがよくなる。
血の巡りの悪い非健康者たちにとって数々の魅力的な効能が掲げられている。
しかも誰にでも出来る簡単なものですよ、と甘い誘いがある。
これでストレス社会に生きる多くの人たちの気持ちをつかむ。
まず表面的な安易さや楽しさで人々の目を引き、最後に内面(魂)を乗っ取る。
いかにも邪神らの考えそうなことである。
○
日本のお稽古事は、礼儀節度が生命。
慌てず騒がずゆったりと。
しかし芯は鉄のごとき強靭な意思をもって型を遂行する。
一糸乱れぬ型の動作からは、邪を寄せ付けない気迫に満ち溢れている。しかし、それは決して鬼気迫るものではない。
まるでご神前に詣でているがごとき清々しさが漂う。
礼節は、相手との適切な間と心地よい尊厳を保ち、静かな立ち居振舞いと思いやるあるやさしい言葉遣いは、周囲との調和をもたらす。
平和とは神の設けたルールの中で人が互いに許し合い信じ合うことにより成立する。
好き勝手なやりたい放題の自由主義で平和は継続しない。
宇宙は自由そうに見えるが実は規則性に満ちている。
自然はその規則に基づいて活動している。
もし山海草木、各自が自由勝手に活動したら秩序が消え、生命は存在できなくなる。
統一意思たる神の制御のもとにあってこそ、われら生命は長らえる。
○
鎮魂帰神を復活させた本田霊学にはこう記されてある。
1、霊魂は神界の賦与にしてすなわち分霊なれば、自らこれを尊重し、妖魅などのためにたぶらかさるることなかれ
2、正邪理非の分別を明らかにすべし
3、常に神典を通読し神徳を記憶すべし
4、幽冥に正神界と妖魅界のあることを了得すべし
5、正神に181の階級あり、妖魅界またこれに同じ
6、正神界と邪神界とは正邪の別、尊卑の差あり、その異なること天淵の相違あるを知るべし
7、精神正しければすなわち正神に感合し、邪なればすなわち邪神に感合し、精神の正邪と賢愚は直に幽冥に応ず、最も戒慎すべし
○
世に蔓延する健康法。
いくら健康によいからと言って、人としての礼儀節度を逸した妙な行動をするものなら気をつけなければならない。
肉体的健康を手に入れて霊的健康を損ねていたのでは何にもならない。神に申し訳ない。
そういった類いのものは、最初に健康になってもやがて取り返しがつかない病や精神疾患にかかる。
本当の健康は霊的な健康があってこそはじめて本当の健康となり得る。
まして、年齢がそこそこいった人たちが妙なポーズをとったり、酔っぱらいのような動作をしたり、周囲をはばからぬ大声で笑ったりなどする、そのような、いわゆるはしたない姿は見たくない。
大和の国の先輩諸子は、物腰が落ち着いて威厳と風格の漂う存在であってほしい。
それそのものが日本の国風を体現し、世界へ和の文化の発信に繋がるのだから。
この日本は、目を塞ぎたいような悪習も多々残っているが、反面まだまだ優れた継承すべき伝統もあることを忘れないでもらいたい。
もし本当の神代のごとき気風をもった日本が復活したなら、この世は神人で溢れかえる。
競争も差別もない穏やかであたたかい日本が言霊の力でよみがえる。
そのように神は宣言された。
だからそのように生きていきたい。
道を誤らず人として一生を終えられたらそれだけで大成功ではないかと思う。