2016.10.31

第157話 「八大竜王 三女五男」

宇気比の神事において、「須佐之男命の剱」を受けて「天照大御神の水火」すなわち鎮魂をもってお生まれになったのが三女神です。これを三人の御霊(みつのみたま)と申しあげ「真正の瑞の御霊」と讃えられます。

古事記に表現される「息吹の狭霧になりませる」というのは「細かい水火の組み合わせによって成る」と言うことです。水火の組み合わせとは天津宮言のことです。

よって剱には三女神のはたらきがあります。

三月三日の節句はこの三女神の登場、すなわち剱の威徳が現れたことを寿ぐ祭りです。

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そして、「天照大御神の勾玉」を受けて「須佐之男命の水火」すなわち鎮魂によってお生まれになったのが五柱の男神です。これを五人の御霊(いつのみたま)であり「厳の御霊」と申し上げます。

五月五日の節句はこの五柱の神の登場、すなわち玉の威徳が現れたことを寿ぐお祭りです。

正勝吾勝勝速日天の忍穂耳命 不撓不屈勝利光栄の神

天の菩卑能命        血染焼尽の神

天津日子根命        破壊屠戮の神

活津日子根命        打撃攻撃電撃の神

熊野久須毘命        両刃長剣の神

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以上でお分かりのように、須佐之男命は見た目は恐ろしい荒ぶる神ですが、その霊性は温和従順なる女神です。

また天照大御神のお姿は見目麗しい女神ですが、その霊性は勇壮無比の男神です。

これら三女(瑞の御霊)、五男(厳の御霊)を統べて「八王子」と言い、八大竜王として琵琶湖でお鎮まりになっています。

私たちはこの天照大御神と須佐之男命の玉と剱をいただいて稽古精進し、弥勒の世招来にむけてどこまでも突き進まねばなりません。

弥勒の世とは天の岩戸が開けることです。

天の岩戸を開くには、剱と玉の威光を世に輝かすことです。

剱と玉のご威光を輝かす儀式が神道祭典の根本なのです。

古事記に記される天の岩戸開きにおける最後の段で、伊斯許理度売の命が作った鏡に天照大御神のお姿が映り、手力男神がその手を取って表に引き出されたとあります。

この鏡というのは75声の言霊のことです。

物質的にお姿が鏡に映ったから自分で出てこられたいうのは単なる比喩です。

天津神たちの霊のこもった75声の言霊の力によってこの世に光が戻ったのです。

祭壇を設け、お祓いをして清め、お供えをして祝詞を奏し、玉串を捧げ、75声の言霊をもって厳粛な祭典を執行し、鎮魂帰神の霊法に合致したればこそ岩戸が開き天照大御神がお出になられたのです。

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鏡とは万物を映し出す火火水(かがみ)で、これを「真澄の鏡」と言います。

いま私たちが使っている75声の音韻表がそれです。

琵琶湖そのものが地球の真澄の鏡となって、創造主の水火である水茎文字を映し出しています。

水茎文字に従う(天津宮言を行ずる)ことは、本田霊学に記される三大学則の実践でもあります。

一、天地の真象を観察して真神の体を思考すべし

 (鏡 〜 天津金木を正しく組み、万物の水火の構造を知る)

一、万有の運化の毫差なきを視て真神の力を思考すべし

 (剱 〜 天津菅曾の螺旋運動をもって万有運行の法則を知る)

一、活物の心性を覚悟して真神の霊魂を思考すべし

 (玉 〜 天津祝詞の五大父音に宿る一霊四魂の活用を知る)