2007/04/02
第5話 メジャーへの挑戦と挫折
〜運命とはわからないもの〜
医者を目指していた僕がパンクロッカーに…。
新しい夢に向かって、引き籠もり状態から脱出したのは良かったのですが、周囲との軋轢は酷くなりました。勉強ばかりしていた僕が、全くしなくなり、音楽ばかりになってしまったからです。親、兄弟、先生、近所の人たち…と、周囲は僕が受験に失敗し、父が倒れ、頭がおかしくなったのではないかと見ていました。
髪型もそれまでとは打って変わり、偏見の眼差しをたくさん受けることとなりました。学校に行っても、家でも、街でも、電車の中でも、お店の中でも、それは、今までの人生で経験したことのない世間の冷たい眼差しでした。
ガリ勉くんの時は、周囲は僕に賞賛を浴びせましたが、パンクロッカーになった途端、冷たくあしらいます。人間というのはとてもわかりやすいものだと感じたものでした。ジャパニーズ・スタンダードと言うのか、異物への拒絶反応と言うのか、造られた「常識」にそぐわないものは拒絶なのでした。
そんな状況でしたが、気にすることもなく、僕は音楽で勝負する気持ちでいっぱいでした。学校にもほとんど行かず、アルバイトをしながら、曲作りに夢中になっていました。曲を媒体に、洗脳されている多くの人たちにメッセージを伝えたかったのです。
バンドを結成して約1週間で3曲作りました。メンバー3人で曲を仕上げ、デモテープを作り、大阪のライブハウスに売り込みに行きました。それはもう自信満々で意気揚々とライブハウスに行ったものです。
ところが、若いためか、どのライブハウスに行っても、真剣には相手にしてもらえませんでした。結局、5カ所ほどのライブハウスにデモテープを置いていき、結果を待ちました。
3日経っても、1週間経っても返事がありません。電話しても「また、聴いておきます」との返事だけ。曖昧にされてしまいます。フラストレーションの溜まった僕は作戦を考えました。ミュージシャンの集う店に通い、コネクション作りをしようとしたのです。
当時、大阪の心斎橋に「プラッツ」というパンクロックなどのアンダーグラウンドな音楽の流れるクラブ(ディスコ)がありました。そこに年をごまかして通ったのです。
▼トロージャンという髪型と派手な衣裳で目立つようにしました。
夜から朝まで踊り続け、目立つことに専念しました。
すると、通っているうちに、いろんな人に声をかけられるようになりました。「毎週、来てるね」、「変わった服着てるね」、「いくつ?」と。
次第に常連さんのお兄さん、お姉さんたちと仲良くなっていきました。そして、遂には、当時、大阪で有名なミュージシャンの方と仲良くなったのです。その方に言いました。「実は僕、バンドやってるんです。一度、聴いてもらえませんか」と。
すると、その方は何も聴かず、「一緒にやろうよ」とジョイントライブを誘ってくださったのです。ラッキーでした。運命が動き出したように感じました。そして、その2ヵ月後、その方の前座として初めてステージに立つことになりました。
▼初めてのライブ写真
その方のバンドのホームグラウンドとも言うべき、アンダーグラウンドな世界では有名な大阪のライブハウスに出演することになったのです。運命とはわからないもので、そのチャンスを得てからバンドは勢いを増していきます。
初めてのライブ出演終了後、激しく動き回って歌う僕は楽屋で倒れていました。すると、少々厳つい感じのロッカー風のおじさんが楽屋に入ってきて、いきなり「おまえら、何もんや〜!」と言われるのです。僕はびっくりして何か迷惑でもかけたのかなと思い、すぐさま立ち上がりました。
すると、「おまえら、なかなかやるやないか。まだ若いんやろ。何歳や?」と。僕は緊張しながら答えました。「15歳です」と。
すると、「よっしゃ。来月からレギュラーで出え〜」と言われたのです。その厳ついおじさんはそのライブハウスの偉いさんだったのです。
レギュラーと言うのは、そのライブハウスに毎月出演できるということなのです。僕は弾けんばかりに喜んでしまいました!「ヤッター!ありがとうございます!」と。
実績のできた僕たちは勢いが出てきました。Xやラフィン・ノーズ、ブルー・ハーツなどその後、メジャーになっていく有名なバンドが出演していたそのライブハウスのレギュラーバンドというのを売りに、いろんなライブハウスにも売込みに行きました。どんどん出演が決まっていくのです。当時珍しかった僕たちの音楽スタイルはカテゴライズされにくく、いろんなジャンルのバンドの前座をさせていただくことになったのですが、それが後々ラッキーなことになってきます。
いろんなバンドの前座をさせていただくことで、いろんなバンドの各々のファンが僕たちのファンになってくださったのです。
キャッチーなメロディとダンサンブルでクール(←某雑誌でのコピー)なイメージの僕たちのロックスタイルは幅広いファン層を掴みました。
▼パンクの進化系、ポジティブ・パンクと周囲に人たちに言われていました。
どんどん有名になっていきました。調子にも乗っていました(笑)。トリに出演するバンドにもなり、いろんなイベントにも出演するようになり、学校は相変わらずほとんど行かず、多い時で週1〜2回のライブをこなしていました。
世間が多少なりとも僕たちの活動を認めてくださっていると実感した僕は、家族も含めて精神的に距離のあった人たちをライブに招待していきました。少しずつですが、周囲の人たちは僕たちの活動を認めてくださるようになりました。
そのような状況の中、バンドの人気が出てくるのは嬉しかったのですが、それとは別に僕の中ではジンレンマがありました。
それは何かと言うと、たくさんのファンが来て、音楽を聴いて楽しんでもらうのはありがたかったのですが、その音楽に乗せて歌っているメッセージは、多くの人にとって、単なるキャッチフレーズになっているだけで、その真意が届かないというジレンマがありました。
例えば、代表曲の一つに「OPEN DOORS」という曲があって、サビで僕が拳を上げて「OPEN DOORS!」というと、みんなも一緒になって拳を上げるのですが、そのような彼らの多くは各々の人生において真実の道への扉を開けることはないのです…。ライブの瞬間の楽しさだけで終わってしまう空しさがありました。
▼ライブ活動を始めて約1年。この頃になると毎回100人以上のファンが来てくださっていました。髪もバッサリ。イメージチャインジしています。
そういうことを考えていてもなお、ライブ活動は続けました。しばらくして、日本の音楽業界でも僕たちのような音楽ジャンルがメジャーデビューする時代となりました。BOφWYというバンドがメジャーデビューし、売れ出していたのです。また、同じライブハウスのレギュラーをしていた先輩バンドたちも次々とメジャーデビューしていきました。そういう時代の流れもあって、高校3年生の夏には、僕たちのバンドもまた、メジャーデビューする勢いのあるバンドとなっていました。
▼バンド全盛期。デビュー当時と比べると外見は落ち着きました(17歳の頃)。
ところが!
その勢いのある時期、ふたたび、父が倒れたのです。
病院に駆けつけると、着くやいなや、チューブのいっぱい刺さっている父が朦朧と一言だけ僕に言いました。
「伸介、大学だけは行ってくれ」と。
僕はその言葉を聞いて、父はバンド活動を認めてくれるようになっていたものの、やはり僕のことを心配していたんだと思いました。とても心配をかけてきてしまったんだと思いました。
僕はとても辛い気持ちでいっぱいになってきて、自分のしてきたことは間違っているのかどうか、自問自答し続けました。
音楽はやりたい。このまま音楽をやり続けることで、近い将来、必ずメジャーデビューできるはずだと思っていましたし、大学には行くつもりもありませんでしたから、とても迷いました。しかも、受験勉強は一切していなく、また、高校の成績は1年生の時は勉強してなくても学年トップだったのに、高校3年生の時にはダントツのビリになっていて(ちなみにベースの友人はビリ2でした<笑>)、受験したところで、どこにも受かりそうにない状況でした。
音楽で身を立てたい。でも、これ以上、父に心配をかけたくない。
結局、バンドのメンバーたちとも相談し、全員で大学受験をすることになりました。受験するからには全員合格を目指して、受験してから音楽をしようということになり、高校3年生の秋で、一旦、バンド活動を休止することとなりました。
勢いの乗っていたバンド活動を一旦休止する決断を出すのは辛いものがありましたが、父に安心して欲しいと思い、受験2ヶ月前から勉強を始めました。
お金も無かったので、受験は辛うじて合格する可能性のある大学1校に絞って受けました。他のメンバーも各々、受験しました。
結果はビリNo1の僕とビリNo2のベースの友人の2人が奇跡的に大学に合格したのです。恐らく鉛筆転がしの効果があったのだと思いました(笑)。
2人は合格したものの、ギターの友人が落ちてしまい彼は浪人となってしまいました。彼は親にだいぶ怒られたようで、大学に受かるまで音楽活動を一切禁じられました。バンド活動再開のメドがつかなくなったのです。
そして、僕自身も学費を稼ぐため、今まで以上にアルバイトをしなければならなくなったのです。しばらくは、他のバンドの方々をゲストに招き、ソロでライブ活動を再開していたのですが、思いの他、お金が必要で、アルバイトばかりになっていき、音楽どころではなくなっていくのでした。
そして、運命がまた思わぬ方向へと動き出すのです…。
次回は、大学時代です。水商売の世界で出世していきます。人間の本性が渦巻く世界と言われる夜の世界で、運命的な出会いや様々な経験を積んでいきます。お楽しみに!
次回へ続く