2007/09/10  

26話 悪なる声は善の仮面を被っている

私たちが最も畏るべきは、「悪なる声」であり、この声は巧妙に「善の仮面」を被って現われてきます。頻繁に起こる企業の不祥事を例に考えて見ましょう。

 

ある有名洋菓子メーカーが、賞味期限切れの食材を使って洋菓子の製造販売をしていました。社内の調査委員会が、11月の時点でこの事実を社長に報告しているにも関わらず、発表は、12月のクリスマスと年末商戦が終った1月になってからでした。クリスマスと年末商戦は洋菓子業界にとって最も売上の高い時期でもありました。

 

 なぜこのようなことが起こったのでしょうか。

 

その期間、取締役を含む経営幹部には、さまざまな心の声があり、葛藤があったことは容易に想像がつきます。経営幹部には、「すぐ公表し直ちに販売を自粛すべきだ」という「善なる声」と、さまざまな甘い仮面を被った「悪なる声」が聴こえていたと思います。

 

これは、今までに観た勇親愛智のそれぞれが人生で求める魂の領域の声ではなく、それに巧妙に似せてささやく「モドキ」の声なのです。その甘い心のささやきは、人の持つ強い「聴き方」に響くように現われてくるのです。その四つの例を見てみましょう。

 

勇の聴き方の強い経営者に対しては

「会社が潰れてしまっては、もう素晴らしい洋菓子を消費者に届けることはできない。賞味期限が過ぎているといっても数日であり現実には問題ない。自主的に調査委員会も作って、迅速に誠実にやるべきことはやっている。いまは全力で年末商戦を全社一丸となって戦うべきだ。発表はそれから誠実にやればよい」 これはあなたの志に働きかける実にもっともらしい「勇モドキ」の心の声です。

 

愛の聴き方の強い経営者に対しては

 「わが社は経営再建中の赤字会社であり、いますぐ発表し販売を控えたら20億円もの売上を失ってしまう。すぐ発表することは簡単なことだ。しかしこれでは、会社は存続できない。まず内輪で改善策を講じ、発表は年末商戦が終った後でよいではないか。従業員を路頭に惑わすわけにはいかない。いますぐ公表し販売を自粛するというのは、社員と家族の生活に責任をとっていない冷血の所業だ」 社員やその家族への思いに働きかける「愛モドキ」の内なる声なのです。

 

●親の聴き方の強い経営者に対しては

「会社の一部の人間がやったことではあるが、組織としてその従業員を守ることも会社の役割だ。これはどこの食品業界でもやっていることであり、社内にかん口令を引けば外部に漏れることは防げる。これからはこのようなことは社会的に許されなくなる。今後、皆で話し合い、やらなければよいじゃないか。これは皆の責任だ」 仲間の平和や安定に働きかける「親モドキ」の心の声なのです。

 

●智の聴き方の強い経営者に対しては

 「なぜこのような事態に陥ったのか?その原因を究明し、二度とそれが起こらないように対策を練ることが大切であり、いま公表してマスコミに殺到されたら対応に追われて肝心の原因究明が疎かになってしまう。また、対策も不十分なまま発表しても、マスコミに叩かれるだけだ。まずは、社内で徹底的に対策を練ろう。発表はそれからだ」 これは、真理の究明に働きかける巧妙な「智モドキ」の声です。

 

このように「悪なる声」は、あなたの聴き方の傾向に沿って、巧妙な声をあなたにささやくかもしれません。これはあなたの魂の声ではなく、「モドキ」の声なのです。このような事態に追い込まれた経営者は、内なる二つの声をどちらが善なる声かを審判できなくなってしまうのです。これは魂が封じ込められた状態なのです。

 

審判することで人生が好転する

私たちは、常にこのような善と悪、二つの心の声のハザマで選択を迫られています。「これまで頑張ってきたのだから少し休んだら」「とてもそんなことができる資格はない」「たまには楽しんでもいいじゃないか」「どうせわかってくれないから」「相手の責任だから」「おこがましい」といった声は、いつも聴こえてきているはずです。

 

「それはおかしい」と自分では薄々分かっていながらも、悪なる声に従うことがあります。あなたにも同じような経験があるのではないでしょうか。

 

一日、自分の内なる声に注意を払ってみてください。「もう少し寝てもいいじゃないか」「今日は会社に行きたくない」「十分やったからたまには休んだら」などなど、いかに多くの声が聴こえているかを実感できます。

 

このような声に対して、これは「あ、これは善なる声だ」、これは「あ、悪なる声かもしれない」と、実際に自分自身に言ってみるのです。内なる声が聴こえてきたときに、名前を自分で言ってみる訓練をすれば、二つの声の区別がしだいについてきます。

 

怖ろしいことに、現実には私たちの「悪なる声」は善の仮面を被って現われ、たいていは「善なる声」を圧倒していることを発見するでしょう。

 

                悪なる声 > 善なる声

しかもその巧妙さは、これまで掴んできたあなたの聴き方の傾向に沿っていて、正しい声のように聴こえてしまうのです。

 

勇の聴き方には、志や達成をくすぐる声として、

親の聴き方には、仲間の平和やタイミングの重要性を強調して、

愛の聴き方には、愛する人のため、自分の気持ちや体を大切にする声として、

智の聴き方には、興味や真理の探究を優先させる声として現われてきます。

 

実際に自分の内なる声に注意を払い、それを聴いてほしいのです。

 

そして、声がした瞬間に「悪なる声」などと、その名前を発声してみることで、その「悪なる声」と自分との距離ができ始めます。名前を発声することで、つまり、本当の自分(審判する声)が強くなり、不思議にその声を自分から切り離すことができるようになります。これも第六段で少しお話した「スーパーリスニング」の使い方なのです。

 

これは、自分の言動をもうひとりの自分が見るということになり、そのもう一人の自分が、「本当の自分」である可能性を、見てほしいのです。怠惰なことや悪いことや良いことを言う自分もいれば、プラス思考やマイナス思考の自分もいます。それらはすべて心の働きであって、自分そのものではないのです。

 

それを見て判断するもう一人の自分がいる。これこそが、あなたの魂の声であって、この声が成長すれば、大きなパワーを持ってきます。私はこれが自分を磨く、言い換えれば、魂を磨くことなのではないかと思っています。

 

 「善なる声」と「悪なる声」のどちらに従うのか、それを聴き分けることができたら、あなたには本当の意味で、選択の自由が出てきます。「悪なる声」を「正しい」と判断して実行しているときには、あなたは自由とは言えないのです。なぜなら善だと思って悪を成していることになるからです。

 

 人間から「悪なる声」が無くなるわけではありません。それが備わっているからこそ、人間に自由があるのではないでしょうか。もし「善」しか実行できないのであれば、それはロボットであって、自由はないことになります。そうなれば人間が存在する意義も少なくなってきます。

 

 私たちには、「選択の自由」が与えられています。もしそうなら、私たちは、自身の運命を切り開いていくことができるのです。心の声を区別し、判断することで、自分の人生の選択をしていくことができるのです。

 

 多くの人にとって、悪なる声が、善なる声を圧倒しています。審判をし続けることで「本当の自分」が鍛えられ、しだいに悪なる声が減り、善なる声が増えてきます。では、それがどのような割合になったら、良いのでしょうか?

 

 選択の機会が100あると仮定すれば、100の善と悪の声の力が拮抗していると、50:50ということになります。「善なる声」が「悪なる声」を、51対49で上回ったとき、あなたの仕事や人生は好転し始めます。これが人生好転のための「運命比率」です。

 

        善なる声 > 悪なる声 = 51 > 49

 

 私は、これを道徳的な、もしくは宗教的な「教え」として言っているのではありません。

多くの人たちの人生と関わることで、また自分自身の内なる声と関わることで、しだいに見えてきたことであり、あなたも自分の人生で観察できることなのです。

 

 しかもこれは、多くの偉大な先人が体験してきたことであり、私たちが後世の子供たちに伝えなければならないことではないでしょうか。

 

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