2014.01.21
第10章 空海の猪(いのしし)鍋
現在は四国の高知県の宍喰(ししくい)という、徳島県との県境に近い村がある場所で昔、弘法大師(空海)はその地の家族に晩餐に招かれた。その辺り一帯は当時、山伏が一種の呪術を使い、病気を治す宗教家であると言って、生計を立てていた。ところが大師がそのあたりを巡業し、難しい呪術やめんどうな口誦(くじゅ)もなしに、次々と病人を治していたので、山伏たちはおもしろくなかった。うまい機会があれば、大師を懲らしめてやろうと狙っていた。大師を食事に招いたのは、そうやって大師に病気を治してもらった家族だった。
それは冬の寒い日で、猪の肉は体が暖まると言って、大師にごちそうしたのは、猪の肉を取り混ぜた雑炊鍋だった。大師はそれに合掌し、感謝しながら食べた。食事が終わった頃、そこに現れたのは、大師を見張っていた山伏の一人だった。
「これ弘法、真言宗では肉食妻帯(にくじきさいたい)はかたく禁じられているのに、その開祖自身がその禁戒を破って猪の肉を食うとは不届き千万。よくも衆生を瞞(だま)しおったな」と、山伏は大罵声を大師に浴びせた。
すると大師は、「わしは猪の肉など食わんじゃよ。仏の生命をありがたく拝みながらいただきましたよ」と静かに言った。「何と申す。このナマグサ売僧奴(まいすめ)。貴様が猪の肉を食べておったのはこの眼が見て知っているぞ」。
「あなたが見て知っているのなら、あなたが、猪の肉を食ったのじゃろう。わしは猪の肉など食べたことは金輪際(こんりんざい)ありませんよ」。「馬鹿言え。この眼で貴様が猪の肉を食べているのを、わしはチャンと見ていたのだ」。「いよいよあなたが猪の肉を口に入るのを見ておられたのなら、あなたが食ったにちがいない」。
「何を!!わしは精進堅固な南部神道の修験者......」と山伏が言うと、大師は、「それでは、どちらが猪の肉を食ったか、今食べた物を吐き出して見たらわかるじゃろう。さ。ともども吐き出して証拠を見せよう」。
こうして二人はそれぞれ、お腹にたまっていた食物を鉢の中に吐き出して見た。大師の吐き出した食物の中には一辺の猪の肉もなく、かえって山伏の吐き出した食物の中には無数の噛みくだかれた猪の肉が混ざっていた........。
以上は谷口雅春著「心と食物と人相と」(<補足10-1>)に載っていた宍喰村の言い伝えを、少し要約して紹介したものだ。それにしても、猪の肉が入った雑炊を食べた空海のお腹からはその猪の肉が出て来ないで、空海が食べるのを見て、それを罵った山伏のお腹から猪の肉が出て来るとは、一体どういうことだろう。
山伏が使っていた呪術とは催眠術のようなものなのかよく分からないが、大天才空海は、薬も呪術も全く使わないで、病気を次々と治していたようだ。聖書にも、キリストが病人に声をかけただけで、病気が治る話が出てくる。そして、これらは言い伝えであって事実ではない、とは必ずしも言いがたい。
谷口雅春も、薬も呪術も使わないで、病気を次々と治した。 彼の書物を読むことで、そして谷口自身、あるいは谷口の教えを伝える弟子たちと接して話すことで、谷口が創設した「生長の家」の信者、あるいはその家族や友人のガンなどの病気が、薬も飲まず、手術もせずに治っている。そしてそれは記録として残っている(<補足10-2>)。谷口が亡くなったのは昭和60年(1985年)だが、「生長の家」という組織は、彼が残した教えを元に、いまだに盛んに活動を続けている。これは、昔の言い伝えではない。
谷口雅春は、「病気はない」と言った。そして、「あるものは説明のしようがあるが、ないものはないとしか言いようがない」と言い切っている。谷口雅春は400冊あまりの本を書いた。「病気がない」というのは、これらの本の随所に載っている。病気はないのだったら、病気にかかっているというのはおかしい。だから、病気が治るというより、病気は最初から治っている、ということになる。
これに対してほとんどの人は、そんな馬鹿な、と思うだろう。我々の目の前には、高熱を出して、体に斑点ができて、あるいはしこりが膨らんで、痛みで苦しんでいる人がいる。それなのに、「病気はない」と言われたら、「何と申す。このナマグサ売僧奴(まいすめ)。病気があることは、この眼が見て知っているぞ」と普通は、山伏のように反論するだろう。
ところが、谷口雅春の本を読んで、谷口と直接対面して、話をすることで、実際にガンなどの病気が治った人が少なからずいる。「病気がない」と言われた瞬間に病気が消えたかどうかは分からないが、その後医師のところで調べたら、腫瘍が縮小し始めていた、あるいは腫瘍は消えていた、ということだ。
空海が吐き出した食物を調べたら猪の肉が出て来なかったように、調べてもガンは出て来なかった。私は食べていない、病気はない、という空海には病気は見つからず、空海は食べていた、病気はある、という山伏の体から病気は見つかった、というようなものだ。
プラシーボ効果(Placebo Effects)という現象があり、患者に対して、偽の薬、例えばスターチ(でんぷん)だけが入ったカプセル、あるいはただの塩水とかを、本物の薬だと言って与えると、病状が改善する、ということが起こる。病気自体が治ってしまう、ということもあるようだ。
臨床試験で薬の効果を証明するとき、患者を2つのグループに分けて、片方には薬を与え、もう片方には偽の薬を与える。本物の薬で治る人の数が、 プラシーボで治る患者の数をはるかに超えないと、その薬は効くとは見なされない。つまり、プラシーボ効果ではないということを実証しないと、その薬の効果は認めてもらえないわけだ。
プラシーボとはほぼ逆の効果、偽の薬を本物だと言って与えられたときに、その薬の副作用が現れるなど、病状が悪化する現象はノセボ効果(Nocebo Effects)と呼ばれている。
プラシーボ効果を近代では最初に唱え、論文として発表したのはヘンリー•ビーチャー医学博士で、1955年、今から50年以上前のことだ。ビーチャー博士は15の臨床試験を検証し、病状が改善した、あるいは病気が治った1082人の患者のうち、35%に当たる379人はプラシーボ効果が働いたため、と結論づけた(<補足10-3>)。
その後、痛み、うつ病、心臓疾患、胃潰瘍といった病状に限ると、患者の半分以上がプラシーボ効果によって改善、あるいは治った、という研究も現れた。また、何人かの研究者は、患者の心理状態を改善する目的で新たに開発された薬(Psychotropic Drugs)が、プラシーボ効果を上回って効果があるという証拠はない、と断定している(<補足10-4>)。これらの薬より、プラシーボの方が効き目が高い、というわけだ。
これに対して医学•薬学会は、プラシーボ効果を否定する研究を相次いで行い、発表した。どれもが、患者は心理的に少し良くなった気がしているだけで、病気が実際に良くなっている証拠はない、と断定している。プラシーボの患者に対する実際の効果はともかく、肯定的な研究者がやると肯定的な結果が出て、否定的な研究者には否定的な結果が出るということは、むしろ研究者にプラシーボ効果が働いている、と言えそうだ。
「医師の療法に対する自信と、患者の医師に対する信頼が相乗効果を発揮する。この相乗効果は、病状の改善、時には治るのがほぼ間違いないと言えるくらいの強力な治療となる」(ピーター•スクラバネック医学博士、ジェームス•マコーミック、<補足10-5>) 。治療法や薬自体というのではなく、治療法に対する医師の自信、医師に対する患者の信頼は、病気の治癒を強力に後押しする、ということだ。
プラシーボ効果が存在するということは、病気が治ると思うだけで、病気が治ることがある、ということだ。そんなのは思い込みだ、と言うかもしれないが、思い込みだけで病気が治るのなら、そんなにいいことはないだろう。さらに、「病気はない」と言う谷口雅春は、思い込みで病気が治ると言うよりもっと進んで、病気にかかっていることがむしろ思い込みだ、と言っているわけだ。
ところが、谷口雅春が亡くなってから30年近くがたった今、「病気はない」と言っても、治る人がいなくなってしまった。谷口の書いた本はいまだに多くの人に読まれているし、谷口の考えを引き継いだ「生長の家」も盛んに活動を続けている。それなのに、谷口雅春がこの世にいなくなったら、「生長の家」の信者の中でさえ、薬も飲まず、病院にも行かずにガンが治る、という話はほとんど聞かれなくなってしまった。
<補足10-1>日本教文社出版
<補足10-2>谷口雅春著「心と癌−癌症状を克服した人々の貴重な記録」(日本教文社出版)など。
<補足10-3>Henry K. Beecher博士の論文「The Powerful Placebo」は、米国医療協会の医学雑誌(The Journal of the American Medical Association)の1955年12月24日号(Vol. 159, No. 17)に掲載された。
<補足10-4>詳しくは、Arthur K Shapiro医学博士、Elaine Shapiro博士共著、「The Powerful Placebo」(The Johns Hopkins University Press出版)参照。
<補足10-5>"The physician's belief in the treatment and the patient's faith in the physician exert a mutually reinforcing effect; the result is a powerful remedy that is almost guaranteed to produce an improvement and sometimes a cure." -- Petr Skrabanek、James McCormick共著「Follies and Fallacies in Medicine」(Tarragon Press出版)より。スクラバネック博士はガンの専門医。