第15章 ”不治の病”という神話
政府とFDAが、ガンを治すのに有効だと思われる療法を阻害しているとしたら、ガン細胞の塊をガンと呼ぶだけではなくて、政府とその組織こそがガンだ、と言わなければならない。 父であるマックス•ゲルソン医学博士が開発し、ガン治療に相当な効果を発揮したゲルソン療法を擁護し、普及させる活動をしているシャーロッテ•ゲルソン(Charlotte Gerson)は、「FDAがFood and Drug Administrationの頭文字というのは何かの間違いです。本当はFraud and Death Association(不正と死の協会)の略称です」と手厳しい。
この手の迫害は、どうもビタミンB17と呼ばれるレートリルに限らないようだ。やや古くは19世紀の半ば、ドイツでホメオパシーという療法が開発され、非常に効くために瞬く間にアメリカ、ヨーロッパ全域に広がりそうだったのを、アメリカでは医療業界、薬品業界の圧力によって、ほぼ壊滅させられた。現在の米国医療協会(AMA、American Medical Association)はそもそも1847年に、このホメオパシーに対抗するために設立された。
19世紀の終わりころには、ガン微生物説が登場した。この説を最初に唱えたのはおそらくスコットランド人の病理学者、ウィリアム•ラッセル博士(William Russell)で、1890年のことだ。博士はガン細胞の中とその周りにたくさんの微生物が存在し、それらが細胞をガン化する、と主張した。そして、それらの微生物を”ガン微生物(Cancer Microbes)”と呼んだ(<補足15-1>)。
このガン微生物を退治できればガンは治る、と言う微生物学者や医学者が次々と表れ、微生物を退治する手法が開発されたが、FDAなどによって、逆にこれらの手法が退治されたようだ。1930年にはロイヤル•レイモンド•ライフ(Royal Raymond Rife)博士が、特殊な周波数の電磁波でガン細胞内の微生物を殺すための装置を発明した(<補足15-2>)。この装置は、AMAとFDA(食品医薬品局)の陰謀で押収、壊滅させられた、とこの発明を支持する人たちは訴える(<補足15-3>)。
また、ガン微生物は酸性かアルカリ性かといったpHの環境によって形と大きさ、性質を変える、と主張したカナダのガストン•ネサン(Gaston Naessens)微生物学博士は、カナダ国内で一時逮捕された上、博士の開発した、微生物を無害化するという医薬品はアメリカでは使用が禁止されている(<補足15-4>)。さらに、ガン微生物を研究したグループのリーダー的存在で、ガン微生物説を唱え続けたバージニア•リビングストン(Virginia Livingston)医学博士が開発したガン治療用ワクチンは、博士の死後、やはりアメリカでは使用が禁止された(<補足15-5>)。
微生物説の研究者と並んで、FDAやAMAと激しく戦ったのは、特殊なサプリメントなどを使うホクシー療法を開発したハリー•ホクシー(Harry M. Hoxsey)だ。1924年以降、全米17州でホクシー療法のクリニックのオープン、強制閉鎖を繰り返し、結局は1963年までに、ホクシー療法のサプリメントは販売が禁止され、クリニックはすべて閉鎖された(<補足15-6>)。
レートリルなどの自然なサプリメントによってガン細胞を直接攻撃する療法、ガン微生物を退治する療法とは別に、体のバランスを取り戻してガンが成長しにくい環境を作り、免疫システムを強化して、自分の体の力でガンを治そうとする療法の草分け的存在が、マックス•ゲルソン医学博士だ。
ゲルソン博士は自国のドイツで、1927年には独自の栄養素療法を開発して、結核で実績を上げていた。これによって1932年には自分の娘、シャーロッテの結核を治している。彼女はすでに90歳を超えているが、いまだに全く元気で健康だ。ゲルソン博士はアメリカに移住した後、1940年ころから栄養素療法をガンに応用し、ゲルソン療法を確立した(<補足13-2>)。ゲルソン療法によってガンが完治したシュバイツァー博士(<補足15-7>)はゲルソン博士を、医学会の大天才だと絶賛した。
ゲルソン療法はサプリメントをあまり使用しない。特別な野菜ジュースと食事に加え、コーヒー浣腸による解毒が治療の主力だ。薬品的なもの、薬品に取って代わりそうなものは一切使わないため、これにはFDAも手の出しようがなかったようだ。
このゲルソン療法によって、すい臓ガンが治った歯科医のウイリアム•ケリー(William Donald Kelley)博士はその後、独自に研究し、ケリー療法と呼ばれる栄養素療法を開発した(<補足15-8>)。ケリー療法を徹底的に研究したニコラス•ゴンザレス(Nicholas Gonzales)医学博士などによると、ケリー博士は、もともと歯科医で医師(医学博士)の免状を持っていなかったこともあり、相当な妨害と迫害を受けたようだ。アメリカ国内を引っ越して回り、メキシコにまで行って治療を続けた。離婚をし、アルコールに走った、とまでメディアに書かれている。
それでもケリー博士は3万3千人もの治療をした、と言われている。ケリー療法のガンの治癒率は、だいたい5割くらいだったようだ。しかし、通常療法を全く受けずに、ケリー博士のところだけで治療を受けた人の治癒率は、実に93%だった、という。
そして、レートリルなど、政府ご禁制の”自然の薬品”には、いまだに取り締まりの手が緩んでいない。昨年(2013年)だけで、少なくとも2つのクリニックが封鎖された。そのうちの1つ、オクラホマ州のキャメロット•クリニック(The Camelot Cancer Care Clinic)は2013年の4月、レートリルを治療に使っているという理由でFBI(連邦捜査局)に押し入られ、封鎖された。
キャメロットは一般の法律や規制が及ばないインディアン保護区でレートリルを治療に使っていた。しかも、 このレートリルを細胞内に効率よく運び込むDMSO(<補足15-9>)を使い、かなりの成果を上げていたようだ。それでもやはりレートリルは法律違反だ、というFBIの判断でお縄になった。ガン治療に実績を上げているキャメロットが強制的に閉鎖になる一方で、毒性が強いばかりで一向に効果が上がらない薬品を大量に投与し続けている主流の通常療法の病院は、患者が次々と亡くなっても、おとがめは全くない、というのが現状だ。
ガンは、第3期や、特に末期と呼ばれる第4期に進むと、治療が困難な”不治の病”、“死の病”という考えがほぼ定着しているようだ。そして特にアメリカでは、“不治の病”に挑戦する人たちが次々と押さえつけられている。まるで、“不治の病”という神話を死守しているかのようだ。
<補足15-1>
ガン微生物説に関しては、www.cancertutor.com(主催者はR. Webster Kehr)に詳細に記述されている。ガンの大きな特色の一つは、ガン細胞が、通常の細胞が呼吸で入ってくる酸素を使ってブドウ糖や脂肪などを燃やすことによって熱を得ているのに対し、ブドウ糖を発酵させることによって得られる熱を主力のエネルギー源にしていることだ。ガン細胞の主力のエネルギー生産が発酵方式であることを発見したのは、ドイツの生理学者で医学博士でもあった、オットー•ワーバーグ博士(Otto Heinrich Warburg)で、博士はこの発見によって1931年にノーベル賞を受賞した。ガン微生物説によると、エネルギー源を発酵方式に切り替える第一の原因は、細胞の中に侵入してくるガン微生物が、細胞の発電所、ミトコンドリアに運ばれるブドウ糖を搾取し、自分のエネルギー源にするからだ。さらに微生物は毒素(Mycotoxin、カビなどの微生物が排出する毒素)、ホルモン、粘液(Thick Slime)を排出し、ミトコンドリアは次第にこの毒素や粘液に取り囲まれる。それでなくともかなりのブドウ糖を微生物に奪われているのに、毒素に取り囲まれ、粘液に邪魔されて、ブドウ糖や、ヘモグロビンによって運ばれる酸素がミトコンドリアに到達しにくくなる。それによって、ミトコンドリアの熱エネルギー生産が極端に減る。細胞の活動に必要なエネルギーが生産できなくなるため、細胞は非常用の発酵方式によるエネルギー生産を開始する。切り替えたというより、発酵方式を使わざるをえなくなったわけだ。この発酵方式は、酸素による燃焼方式に比べて、発熱効率が非常に悪い。本来の燃焼方式よりはるかに多くのブドウ糖が必要になる。そのため細胞の活動に必要なブドウ糖の量は、ガン微生物が食べてしまう分と、発酵方式によって十分な熱を作り出すのに必要な分を合わせると、通常の細胞に比べて15から17倍、とガンの微生物説を唱える人たちは試算している。そして彼らは、微生物のせいで発酵方式のエネルギー生産を強いられている細胞こそがガン細胞だ、と定義している。
<補足15-2>
この装置は、微生物を内爆(Implosion)あるいは破裂(Explosion)させる高周波を照射する。この高周波は、ガン微生物を殺すが、人体には害を与えない周波数で、微生物を退治するのに十分な波の増幅力がある、と言われている。これが本当なら、周波数を調整することによって、ガン微生物を始めとする様々な病原菌を退治できるため、医療の世界では革命的な発明だ。病原菌を殺す様々な薬品が不要になるどころか、へたをすると、多くの医師が不要になるかもしれない。このことが知れ渡り、一時、様々な人がRife Machineという名で、高周波を出す機械をネット販売していたが、これらのほぼ全部がライフ博士の周波数を実現していないか、増幅が十分でないために、ガンには全く無効だった、とwww.cancertutor.comは忠告する。ライフ博士の周波数と増幅力の両方を実現している数少ない機械をネット販売しているのは、www.FrequencyStore.comだという。商品は「High RF Frequency Research Test Instruments」という名で、「The 2013 GB-4000 High RF Frequency Generator」という高周波製造装置と、「The M.O.P.A. (2.1 MHzから3.6 MHz) Plasma Amplifier」という増幅装置が付いている。このほかに、特別なプラズマ光線管(Plasma Ray Tube)を他のメーカーから購入しなければならない。これらの合計金額は4500ドル(約45万円)ほどになるようだ。この機械の販売にはFDAの厳しい規制が当てはめられ、これがガンなどの病気治療用だと公言してはならないし、この機械を買った人でなければ、機械についての詳細や使い方を教えてもらうことはできない。
<補足15-3>
ライフ博士の発明を支持する人たちの資料によると、この発明を直接つぶそうとしたAMA(米国医療協会)は、ライフ博士のパートナーを1万ドルで買収して訴訟を起こしたが、これは1939年にライフ博士が勝訴した。そのためAMAはライフ博士の装置を使わないよう、医師に圧力をかけたが、医師会に力を持つミルバンク•ジョンソン医学博士(Milbank Johnson)によって守られ、カリフォルニア州では装置の試験が進められた。ジョンソン博士が主導し、南カリフォルニア大学(University of Southern California)の大学病院の医師たちが参加した臨床試験では、末期ガン患者16人のうち、14人は70日で、残りの2人は90日でガンが治った、という。ところが、ジョンソン博士が1944年に急死したのを境に、AMAの猛攻勢が始まる。装置は押収され、試験所は取り壊された。医師の一人は免許を剥奪されかかり、もう一人は自殺、さらにもう一人の医師の妻が精神的なノイローゼで入院した、という。そして、臨床試験の記録も消去されたようだ。しかし、1953年に国会下院議員のフィッツジェラルド(Fitzgerald)委員会によって、AMAの不正が暴かれて(このライフ博士とは別の件)AMAが力を落とすと、ライフ博士はエンジニアのジョン•クレイン(John Crane)とパートナーを組み、使い勝手を改善した高周波装置を1960年に開発した。すると今度はFDAがAMAに取って代わって圧力をかけてきて、この新装置を押収したそうだ。これによってライフ博士は1961年、メキシコに渡り、1971年には83歳で他界する。それでもジョン•クレインはこの装置を復活させるために精力的に活動を継続し、医師の免許がないのに医療行為をしたという罪をかぶせられ、10年の刑に服した。その後、この刑は無効であることが証明され、3年で刑務所から解放された。彼はその後もめげず、ライフ装置のマニュアルを作るなどして、1995年に他界する。このジョン•クレインの努力によって、ライフ博士の発明の一部は正確に記録が残っているようだ。ライフ博士の生涯と発明は、バリー•ラインズ(Barry Lynes)著「The Cancer Cure That Worked: 50 Years of Suppression」(BioMed Publishing Group出版)に詳しく記述されている。
<補足15-4>
ネサン博士は、ガン微生物はpHなどの環境によって形や大きさを変える(Pleomorphicである)ことを主張し、その16種類の変化形と性質を特定した。この一番小さいのをソマチッド(Somatids、冬眠状態の微生物)と名付け、強いアルカリの環境では冬眠してしまい害はないが、pHが酸性の方向に下がると、病原菌として復活する、と主張した。医師免許がないのに医療行為をしたとして追及され、母国フランスを出てカナダのケベック州に移住した。ネサン博士が開発したガンの治療薬、73-Xは、カナダでは販売されているが、アメリカでは個人が自由意志でカナダから購入する以外は、国内での販売と輸入をFDAによって禁じられている。博士は1989年、通常療法を拒否してこの治療薬を飲んだ人が死亡したことによって、殺人の共犯に問われて逮捕されたが、後に無罪放免された。また、73-Xのカナダ国内販売も厳しく制限する圧力がかかったが、73-Xの治療を受ける患者グループがカナダ連邦裁判所に、圧力が法的に正統であるかを問う訴えを起こし、Francois Lemieux裁判長が2006年7月28日に圧力を退ける判決を下した。詳しくは、Christopher Bird著「The Persecution and Trial of Gaston Naessens」(H J Kramer出版)参照。
<補足15-5>
リビングストン博士は、ガン微生物の研究結果をたび重ねて公表したほか、1969年にはカリフォルニア州サンディエゴに病院(The Livingston-Wheeler Clinic)を設立し、自ら開発した微生物に対抗するワクチンと特殊な食事療法でガンの治療に当たった。医学会からは、リビングストン博士の研究結果は、追試をしたが実証できない、という理由で様々な批判を浴びた。この手の追試で実証できた例はまずない。この追試を主導したのはAMA(米国医療協会)で、博士を批判する組織の追試が公平とはとても思えない。1990年にリビングストン博士が亡くなった直後、博士の発見を全面的に批判する論文が匿名で医学雑誌に載るなど、博士の発見が無効であると訴えるキャンペーンが展開され、結局このワクチンは無効であるとして使用が禁止された。詳しくは、Alan Cantwell医学博士著「Four Women Against Cancer」(Aries Rising Press出版)など参照。
<補足15-6>
ホクシー療法は様々な薬草にビタミン、ミネラルを加えたサプリメントと軟膏、特別な食事がガン治療の中心だ。ハリー•ホクシーは1924年にイリノイ州にホクシー療法のクリニックを設立、その後30年間で17州にクリニックを広めたが、ホクシーが医師免許も持っていないことなどを理由に当局によって閉鎖されては、また開ける、ということを繰り返した。この間、AMAと国立ガン研究所(National Cancer Institute)が相次いで、ホクシー療法は実際の効果が立証されない、という研究発表を繰り返したのに対し、ハリー•ホクシーは、ホクシー療法を不正だと非難したAMAの雑誌を告訴し、AMAとガン研究所をラジオなどで公に非難し続けた。結局は1960年、ホクシー療法のサプリメントと軟膏はアメリカ政府によって販売を禁止され、1963年までに、すべてのクリニックが閉鎖された。この1963年、ホクシー•クリニックで看護師をしていたMildred Nelsonがメキシコのティワナに、本格的にホクシー療法を実施するクリニック(The Bio Medical Clinic)を設立した。このクリニックでのガンの治癒率は一時、80%と言われた。ハリー•ホクシーは1967年に前立腺ガンにかかったが、これにはホクシー療法は効き目を発揮しなかったようだ。最終的には手術を受け、抗ガン剤も投与したようだが、1974年に息を引き取った。
<補足13-2>
ゲルソン療法について詳しくは、Max Gerson著「A Cancer Therapy」(Gerson Institute出版)参照。この日本語版は、今村光一訳「ガン食事療法全書」(徳間書店出版)。
<補足15-7>
Albert Schweitzer医学博士、神学博士、哲学博士。パイプオルガンを弾き、バッハの研究家としても知られている。アフリカの赤道直下の国ガボンで、現地の住民の医療に生涯を捧げた。広島と長崎に原子爆弾が落とされたのをきっかけに反戦運動を展開、1952年にはノーベル平和賞を受賞している。
<補足15-8>
ケリー療法の特色は、投与する栄養素として特にタンパク質消化酵素を重視し、ホルモンバランスと解毒を強調し、その人の代謝が、酸性かアルカリ性のどちらに傾いているかで、食事を変えることだ。タンパク質消化酵素のサプリメントは独自に開発している。詳しくは、ウイリアム•ケリー博士、Fred Rohe共著「Cancer: Curing Incurable Without Surgery, Chemotherapy, or Radiation」(New Century Promotions出版)、ニコラス•ゴンザレス医学博士著「One Man Alone」(New Spring Press出版)など参照。
<補足15-9>
Dimethyl Sulfoxide。皮膚や細胞膜への浸透性が非常に高い有機化合物。特にガン治療には、ガンに対抗する物質を細胞内に運び込むのに使われる。米国で唯一、DMSOを本格的に治療に使っていたのは、キャメロット•クリニックだけだったようだ。メキシコのヘルベルト•アルバレズ医学博士はDMSOを、ガンに対抗する物質を細胞膜を通過させて運ぶだけでなく、血液脳関門(Blood Brain Barrier、脳の中枢神経の組織液と血液との間の物質交換を制限する機構)を突破して脳細胞に運ぶためにも使い、脳腫瘍の治療に実績を上げているという。