2015.06.09   

第18章―5 隠蔽(いんぺい)されたガン治療法の数々 その5

私の哲学の師匠である木村玄空(げんくう)さんは、すごく難解だけど理解できると非常に面白い本を見つけてくる達人です。私だったら何ヶ月もかけて必死に読んでも十分に理解したとは言いがたい哲学書を4、5時間で読み切って理解してしまう人ですから、読解力というか理解力は恐れ入るしかありません。その木村さんに最近言われて読んだ本が、ジェイムス・カース(James P Carse)著「Finite and Infinite Games(有限のゲームと無限のゲーム)」です。

この本は木村さんご推薦としては非常に珍しく、比較的分かりやすい内容で、私でも1ヶ月足らずで読めました。もしかしたら分かったのはごく表面的なことで、実は深いところを全く理解していないのでは、と疑ったくらいです(理解していないかもしれません)。

ごく簡略に説明すると、有限のゲームは始まりと終わりがあり、ゲームに参加する目的は勝つことであって、参加者の誰かが勝ったらゲームは終了する。これに対して無限のゲームは、始まりも終わりもなく、目的はとにかく続けること。

両者の共通点は、一人ではできない、つまり他の参加者が必要。ゲームなんだから全くの自由参加、抜けたければいつでも抜けられる、ということです。

この本を読んで思い当たったのは、私の無限のゲームは、「感動のゲーム」だということです。自分が感動する、人を感動させる、感動を広げる「感動のゲーム」だと考えると、この本の分かりにくいところが納得がいく、とてもよく分かる気がするんですね。概念的に考えても何のことだかよく分からないところが多いけれど、それに当てはまる具体的なことが思いつくとよく分かる、という本です。

さて、自分の有限のゲームと無限のゲームを突き詰めると、「感動」という無限のゲームは、出口光さんのおっしゃっている「天命」とおおいに関係がありそうです。

「感動」には主に二つの要素がある、と私は考えています。ひとつは、「こりゃ、すごい」という感動、と言うか感嘆。特に、独創的なものに触れた時。例えば、ベートーベンの音楽です(彼の独創性は、分かる人は非常によく分かると思いますので、説明は省きます)。この独創性と同じように、「すごい」と感動するのは、未知のものに触れた瞬間です。私の場合は例えば、スペインのバルセロナで地下鉄の駅を降りた時いきなり目の前に現れたアントニ・ガウディのサグラダ・ファミリア大聖堂(地球上のものとは思えない、不思議な形をした建物)。ニューヨークに初めて行った時メトロポリタン美術館でふと目にしたゴッホの絵画(美術館でほかにたくさんあった絵とはまったく違う)。アインシュタインの相対性理論(特殊相対性理論とE=mC2)が何を意味するか知った時などです。

「感動」の二つ目はいわゆる心を打たれた時です。私の場合、例えば中学生のころ見たクンタ・キンテのテレビドラマ「ルーツ」(毎回、おいおい泣いてました)。勝海舟が自分が殺されることは覚悟の上だった「江戸城明渡し」などなど、いわゆる英雄的な、あるいは美しい(感動的な)ストーリー。ほとんどの美しい絵画や音楽もこれに当てはまりそうです。美や見事さに心を打たれるわけです。

「感動」の多くに、この二つの要素が同時に含まれるかもしれません。ともかく、美や見事さに心を打たれた時は、何か懐かしいもの、遠い昔に知っていたけれど忘れていたものに触れたようで、涙がこみ上げてくるのに対し、「すごい」という感動は、今まで全く知らなかったものに触れた驚きと言うか衝撃があります。

感動なんて誰もする時はするし、それが何なんだ、と思われる方がいらっしゃるかもしれません。でも、考えてみてください。感動が私たちの日常のごく普通の状態になったとしたら、この世の中はどうなるか。

私は少し前、母と一緒に日本行きの飛行機に乗っていた時、それまでが超多忙でとても疲れていて、そもそもイライラしていたからだと思いますが、母がちょっとしたことを尋ねてきたのにカチンときて、とても乱暴なぶっきらぼうな返事をしました。

そのときちょうど、イヤホーンで音楽を聴いていて、たまたま、チャイコフスキーのバレー音楽、「白鳥の湖」の第一幕のワルツが流れてきたんですね。それを聞いた瞬間です。そのやさしくて美しいメロディーに心を打たれ、思わず涙がこみ上げてきました。すると、母にとてもすまないことをした、という気持ちが湧いてきて、すぐに私のぶっきらぼうな態度を謝りました。

感動すると、ある境地に達します。そこには愛、美、純粋さ、といったものが充満していて、憎しみ、妬み、恨み、意地悪さ、不純さ、といったものが一切存在しない、あるいはそういったものが完全に消え去る。その境地では、これらネガティブな感情や考えが愛に溶け込まれ、許す、与える、寛容にする、といった気持ちが出てくる。むしろ、こうした愛の気持ちしか出てきません。

つまり、もし感動が日常的なごく普通の状態になったら、いじめや争い事なんてまず起こらない。ましてや戦争なんてほぼありえない。自分は、自分が、自分のため、といったいわゆる自我は引っ込んで、人に何を与えよう、この人のために何ができるだろう、という愛の気持ちが主流になりそうです。誰もが日常的にごく普通に感動するような状態、頻繁に感動する環境になったら、そんな素晴らしいことはない、と私は確信しています。

私はおそらくかなり小さいころから、この感動のゲームをしていますから、自分が感動することは簡単ですし、全く問題がありません。そこで簡単ではなくて意志や努力が必要なこと、つまり私が目指していること、私が一番やりたいことは、人を感動させることをやることです。

私自身が人を感動させるわけでありません。人を感動させるのは、私がやることです。ベートーベン自身が人を感動させたわけではなく、ベートーベンのやったこと、つまり作曲した音楽が人を感動させている。そう考えると、自我が入る余地は少なくなる。「天命」というのも、自我ではできませんよね。

また、人が感動することをやるには、ベートーベンのような天才である必要は全くない、と思います。この連載の目的は、この世から病気という不幸を消し去ることです。病気を消し去るというのはちょっと言い過ぎにしても、少なくともガンを消し去ること、またはガンが恐ろしい病気ではなくなって、いくらでも治る。ガンにかかったとしても風邪をひいたようなもので、不幸でもなんでもない、というのが常識化する。

この連載の究極の狙いはそんなところなのですが、まあ、そんなに大げさに考えなくとも、現在の医学の常識では治らない病気が治ってしまった、と喜ぶ人を見ると、私はものすごく感動します。お医者さんにもう手の施しようがないと、さじを投げられた末期ガンの人が治るのはすごいですが、そこまでいかなくとも、ひどい糖尿病でボロボロだった人が、または小さいころからアトピーに悩まされ続けてもうダメだとあきらめていた人が、食事療法を徹底的にやって完治し、涙を流しながら「ありがとうございます」と感謝している姿は、こちらも涙なしではいられない感動的な光景です。

例えば「個の花道場」で、全く滞っていてどうしようもなかったお父さんとの関係が氷解し、愛が伝え合える関係が復活した、と泣きながら話す人を見ると、ものすごく感動しますよね。ベートーベンの交響曲第6番の最後の方で、夕立で真っ暗だったのが雨が上がり、雲の切れ目から日が差すところでジーンとくるように、暗闇に光が差して明るくなる、つまり、病気や人間関係の滞りなどの暗黒が晴れるのは美しくて見事で感動的なわけです。

ベートーベンのような天才的な創作は私には到底(とうてい)無理ですが、人間関係上の不幸、病気という不幸を消して明るく幸福にする、というのは、あるいはそのためのお手伝いなら、凡人の私にでもできそうです。この私の「感動」のゲームは、出口光さんのおっしゃる「天命」に近そうですよね。

私の無限のゲームはこのへんにして、次回は、有限、無限のゲームを考える意義、自分の(つまりあなたの)無限のゲームにどうやってアプローチするか、について述べさせていただきたいと思います。それでは、本題のガンを撃退する方法です。

(4) ソノ−フォト療法

Sono-Photo Dynamic Therapyというのがよく使われる名称で、Sono(音)、つまり音波と、Photo(光)を使って、ダイナミックにガンを撃退する、という療法です。

この療法の鍵は、音波や光に反応する感応剤(Sensitizers)で、いくつかの種類の感応剤が開発されています。多くは特殊な周波数の音波や光波に反応して強力なフリーラジカル(活性酸素)を発生します。フリーラジカルはガン細胞にも、通常の細胞にとっても毒ですが、ガン細胞にはSOD(Superoxide Dismutase、最も強力な抗酸化物のひとつ)などの抗酸化物が少なく、通常の細胞に比べてフリーラジカルに対する備えが弱いですから、フリーラジカルに特に大きなダメージを受けます。

例えば、メキシコ・ティワナのトニー先生(Dr Anthony Jimenez、通称Dr Tony)のクリニック(Hope 4 Cancer Institute)で使っている感応剤は、SP-Activateと呼ばれ、ガン細胞にも、通常の細胞にも吸収されるのですが、通常細胞はだいたい24時間以内に吐き出してしまうのに対し、ガン細胞はそれ以上長く保持します。ですから、24時間経過したときに音波や光を照射すると、感応剤がガン細胞内で反応し、発生するフリーラジカルでガンを退治する一方、通常の細胞はほぼ無傷ですむ、というわけです。

この感応剤はもともとはロシアで開発されたもので、特殊な周波数の音波、光波、レーザー光に反応して、フリーラジカルを発生します。光波は隙間なく広がるけれども体の比較的表面にしか届かないのに対し、音波は奥深くに到達します。特に、末期ガンでガン細胞がいろいろな場所に転移しているときは、光波と音波の両方を照射すると効果的なようです。レーザー光は照射した場所に的確に届きますから、ガンが特定な場所に限定されている場合によく使われます。

ソノ−フォト療法は、ヨーロッパでは25カ国で認可されているようですが、アメリカ合衆国では相変わらず、薬品の守護神、FDA(食料医薬品局)が目を光らせていて、特定の感応剤を、特定の場所のガンに限って光波の方だけ認めるという、消極的な認可をしています。
(続く)

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