志のあるリーダーのための「寺子屋」塾
斎藤悦子(元中学校教師。現在NPO法人 
日本ライフキャリア協会認定講師

 中学の英語教師時代、ひとりの半端でない悪ガキと対峙した。丁度出会った『四魂の窓』というテクノロジーがその悪ガキと筆者を変えた。
 少年は教師に心を開くようになり、筆者はもっと沢山のひとを救うために学校を辞めて『四魂の窓』認定教師になった。『四魂の窓』の普及活動に専念する人生に踏み出した。

プロフィール
斎藤悦子写真斎藤悦子(元中学校教師 現在NPO法人日本ライフキャリア協会認定講師

 文教大学教育学部中等教育課程英語専攻卒業

 1990年4月 東京都足立区立第十中学校赴任
 
 以後、埼玉県で教師をしていた夫との結婚を機に埼玉県に移動。その後、脳梗塞の後遺症を抱える夫の母親と、その母親を介護する高齢の父親との同居のため、夫と共に栃木県に移動。

 長女が産まれ、仕事と育児の両立。次女が産まれ、2人の子ども達の世話を実家の両親に依頼するため、自分と子ども達の生活拠点を福島県須賀川市に移動。そこから高速道路で栃木県那須塩原市に通勤するなど、綱渡り人生をエンジョイしてきた。

 20年間で、東京、埼玉、栃木と、3都県に渡って中学校に勤務。 それぞれの地域、学校によって異なる環境、校風、生徒、保護者、同僚との出会いの中で、「生徒の瞳が輝く指導」を信条に学級経営、教科指導にあたってきた。

 勤務地ごとに、お国柄のようなものがあれど、どの場所においても、生徒、保護者、同僚の心の奥底に、共通する願いや本質のようなものがあることを感じながら過ごしてきた。そして、誰にでもその人自身が輝くポイントが必ずあると実感し、共に模索してきた。

 そのような生活の中で「四魂の窓」と出会う。そして、それまでの勘と経験則が頼りの教育活動に、裏付けと指針を得ることができたと感じた。

 「四魂の窓」を通すと、生徒、保護者、同僚の気持ちが手に取るように見えてきた。生徒の抱える悩み、嘆きがどこからくるのかが見えるようになった。

 自分自身の在り方が変わり、どのような関わり方をすれば生徒の瞳が輝き出すのか、瞬時に判断できるようになってくると、学級経営に、教科指導に、明らかに違いが現れた。

 一人ひとりの生徒の個性を最大限に生かし輝かせることができるこの「四魂の窓」を、教育に関わる多くの人々に広めることを目指し、2010年3月、栃木県那須塩原市立黒磯中学校を最後に退職し独立、「NPO法人日本ライフキャリア協会認定講師」として活動中。

 東日本大震災後、2人の娘を連れて沖縄県に移住。母子での生活においても「四魂の窓」のテクノロジーを実際に活用するという体験を生かしながら、全国で個性認識学講座を開催している。

イベント

 

過去の記事
2012.11.06
第1話 生い立ち
203.01.28
第2話 教師を志すに至った理由
203.05.20
第3話 教職に就いていた20年間 ― 初めての試練 ―
203.06.04
第4話 教職に就いていた20年間 ― 新たなスタート ―
203.08.12
第5話 個性認識学「四魂の窓」と出会って
203.09.23
第6話 「四魂の窓」の特徴
203.10.28
第7話 ある少年との出会い